| メッセージ(大谷孝志師) |
| 苦難に立ち向かう勇気を |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年6月5日 使徒14:1-28「苦難に立ち向かう勇気を」 牧師 大谷 孝志 |
パウロはシリアのアンティオキア教会から派遣され、今のトルコの南東部の町々で福音を宣べ伝えました。彼は三回の伝道旅行をしましたが、今日の個所は、第一回伝道旅行でピシディアのアンティオキアとイコニオン、リステラで福音を宣べ伝えた時の事です。アンティオキアでは、ユダヤ人達が町の主だった人達を扇動し、二人を迫害し、町から追い出し、二人はその後、イコニオンで福音を宣べ伝え、ユダヤ人もギリシア人も大勢の人々が信じました。しかし、信じようとしないユダヤ人達が異邦人達を扇動して、二人に悪意を抱かせますが、二人は長く滞在し、大胆に福音を宣べ伝え、主が彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その福音の正しさを証明したのです。にも拘わらず、町の人々は二派に別れ、二人の側に付いた人々もいましたが、ユダヤ人達が町の指導者達を扇動して二人を辱めて石打ちにしようと企てたのです。それを知った二人はリステラに難を逃れ、福音宣教の働きを続けます。ここでも彼らが生まれつき足の不自由な人を癒すという奇跡を行ったのですが。前の二つの町から来たユダヤ人達が群衆を抱き込んで、二人を石打ちにしたのです。彼は仮死状態になったか、脳震とうを起こしたかで、動けなくなりました。人々は彼が死んだものと思って町の外に引きずり出しました。しかし彼の同行者達が囲んでいると、彼は立ち上がり、町に入って行ったのです。そして翌日にはバルナバと共にテルベに向い、福音を宣べ伝え、多くの人々が主を信じて救われました。それから迫害を受けた三つの町に引き返して、彼らの心を強め、信仰にしっかりと留まるように勧め、「私たちは神の国に入るために、多くの苦しみを受けなければならない」と弟子達に語り掛けました。彼は迫害受け、追い出されても苦難をものともせずに、福音宣教を続け、殺されかけた町でも福音を宣べ伝えました。福音宣教には昔も今も苦難が伴います。彼は何故、苦難に立ち向かって福音宣教を続けたのでしょう。答えは、宣べ伝える者がいなくては、主イエスを信じて救われる人がいないからです。 日本に来た多くの宣教師も「耶(や)蘇(そ)」と罵られ、石持て追われるような苦難に怯(ひる)むことなく、福音を伝え続けました。彼らの働きによって救われた日本人伝道者も福音を聞いたことが無い人々に福音を伝えたいと、迫害を、苦難を恐れず、日本中に主に遣わされて行き、福音を宣べ伝えました。その人々が苦難をものともせず、福音を伝えたからこそ、各地に教会が立てられ、今の私達があるのです。苦難は避けたいと思うのが自然の感情です。しかしパウロは「苦難さえも喜んでいます」と言います。「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」と知るからです。彼は、苦難の中で主が守り、主が教え導き、目的、目標へと導き、そこに到達させることを経験しているからこう言えたのです。 苦難に自から飛び込む場合もありますが、人から与えられることが多いのではないかと思います。母がよく私に「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言いました。しかし、苦難は苦しく難儀なことですから、誰でも避けたいと思います。でも、苦労することによって自分が磨かれ、物事への適応力が付き、人間性が豊かになるから、自分の方から飛び込んででも苦労をしろと母は教えたのだと思います。しかしパウロが「苦難さえも喜んでいる」と言うのは、それとは違います。彼は宣教に限らず、信仰生活そのものが主による教育の期間であり、全ては完成に向けての成長の過程であると知っているからです。苦難は時に大きく高く、断崖絶壁に見えることがあります。しかし、それは障害物競走の障害のようなものなのです。障害物競走の障害は走者に走ることを諦めさせる為のものではなく、それを乗り越えさせてゴールに向かわせる為のものなのです。ゴールにはテープが用意され、走者の到着を待っているのです。私達も人生の中で様々な苦難を経験しますが、「キリスト・イエスにあって神が上に召して下さるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。(ピリピ3:14)」私達は、主が共にいるので、主に守られ、それを乗り越える楽しさを味わい、成長していく自分を感じ、更に、新しい可能性が広がる喜びを味わいながら、自分の人生を、自分にしか味わえない人生を生きられるのです。 パウロは「私たちは神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と言いました。この「私たちは」という点が重要なのです。人は生きていると様々な苦難に会います。でもそれは目標に向かう私達を阻むものではありません。私達自身の救い、世の人々の救いの為に、主が与えた避けられない過程なのです。苦難に会ったら、信仰に留まることが求められます。その中で忍耐し、品性が練られ、私達が持つ希望が現実のものになるからです。私達が主イエスを信じて救われた者として、地の塩、世の光となり、更に主に相応しい者となる為に、それを乗り越えさせ、成長させる為に、主が与えているものなのです。私達は、教会に新しい方々が加えられ、地域の方々が教会に親しみを感じて来るようにと心掛けて活動を続けています。礼拝、祈祷会に出席する中で、主の深く暖かい恵みを感じさせられています。でも人の群れです。人はそれぞれが自分の基準を持ち、それにより行動します。現状や将来に付いての考え方も人にょって異なります。大切のなのは、主の視点で物事を見ることです。主に知られ、主に名を呼ばれている自分であることに気付きましょう。主は私達をあるがままで受け入れ、贖い、救い、永遠の命を与え、使命を与えています。共にいて、私達を、諦めずに働き掛け、励ましている主を見上げましょう。苦難は私達を訓練し、成長させる手段と知り、勇気を持って苦難に立ち向いましょう。そうすることで、苦難に直面し、挫折しそうになる人々に、主を信じて生き、主と共に生きる素晴らしさを伝えられる私達になれます。 |