| メッセージ(大谷孝志師) |
| 必要なのは神の知恵 |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年6月19日 列王記T3:3-15「必要なのは神の知恵」 牧師 大谷 孝志 |
ソロモンはマタイ1章の「イエス・キリストの系図」にあるように、聖霊によって身ごもり主イエスの母となったマリアと結婚したヨセフの先祖、つまり、家系上で主イエスの先祖になります。ルカ12:27に「栄華を極めたソロモンでさえ」とあるように、彼は巨大な富と軍事力を持ち、壮大華麗な神殿を建て、その上、列王記上10章にあるように、シェバの女王が彼の名声を聞き、難問をもって試そうとしましたが、彼の知恵に感服した程、聡明な王でした。何故彼がそうなったのかが、この個所に示されています。 彼が父ダビデの後を継いで王となった時、神が夢のうちに現れて、彼に「あなたに何を与えようか。願え」と言いました。すると彼は「善悪を判断してあなたの民を裁くために、聞き分ける心をしもべに与えてください」と願いました。すると神は「自分の為に長寿を願わず、自分の為に冨を願わず、敵の命さえ願わず、むしろ、自分の為に正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、言った通りにする。…その上、あなたが願わなかったもの、冨も誉もあなたに与える」と言い、その通りに神が王にしたのです。 人は誰も成功を願って努力をします。しかし一人で生きているのではないし、相手があることなので、なかなかうまくはいきません。それで焦り、自分や相手を責めてしまうこともあります。しかし主がルカ12:24で言うように、人はいくら心配しても自分の命を少しでも伸ばせません。自分や相手が駄目だと落ち込む前に、自分は何者なのかを、聖書を読み、主の御言葉により知ることが大切なのです。主にとって全ての人は、ご自分が十字架下に掛かって死ぬほどに愛した大切な一人一人なのです。主の目には人は「高価で尊い。(イザヤ43:4)」からそうして下さっていると知りましょう。 主は私達一人一人を御心に留め、見ています。しかし人には主の姿が見えず、声も聞こえません。ですから頭で分かっていても、信じ切れないのです。そして結局、自分に頼る以外にはないと思い込んでしまうのです。それでは折角の人生が闇になってしまいます。パウロは言います。「あなたがたは以前は闇でしたが、、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。(エペソ5:8)」 ペテロもU5:7で「あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです」と教えます。それが私達が信じる主イエスであり、父なる神なのです。 ソロモンは自分が御国に生き、神が全てを支配いていると知っていました。ですから、自分の分別に頼らずに、御心を行える知恵と判断力を求めたのです。神はそれを喜び、彼に王として生きる必要な全てを与えました。私達も主に知恵を与えられるなら、自分の目を曇らせている利己心や妬む心から解放され、自分も相手も心から大切にできます。そうすることで、私達が生きる世界が、人が人として大切にされる世界になっていきます。 一人の人の決断と勇気が社会を大きく変えた実例があります。上からの知恵、神の知恵は、人に十字架の主イエスの愛を実行する力を与えるからです。今から70年前、青函連絡船の洞爺丸が台風15号により沈没し、死者、行方不明者併せて1155人の海難事故が起きました。この船にディーン・リーバーというYMCAの宣教師と東京町田市で農村伝道神学校を設立し初代校長となったアルフレッド・ラッセル・ストーン牧師が乗り合わせていて、パニック状態に陥った人々に、冷静に救命胴着を着けさせていきました。しかし、最後の婦人達の分が無いのを知ると自分達の分の救命胴衣をその人達に着けさせ、自分達は死んでいったのです。事故後、救命胴衣を着けていない二人の宣教師が発見され、二人から救命胴衣をもらって生還した日本人の親族が新聞社に伝えたことで、世に報道されました 何故二人はそうしたのでしょう。自分の命が惜しくなかったのでしょうか。彼らは神の国に生き、神の知恵を与えられていたからそうしたのです。全てを主に委ねていたから、主に喜ばれる道を選び、実行したのです。二人は、主がその人々を見るように、相手を高価で貴いと見たからです。全ての人が神と共に生きる者となる為に、主が十字架に掛かって命を捨てられたように、二人もその人々の為に自分の命を捨てたのです。この事は同じ船に乗っていて奇跡的に生き残ったオース宣教師によっても伝えられています。リーバー宣教師は、青年伝道に召命を受け、来日し5年余りの活動で33歳の生涯を終えました。ストーン牧師はメソジスト派の牧師で、カナダ合同教会の宣教師として1926年に東京に赴任 し、諸教会で牧師をした後、1947年12月に農村伝道神学校を設立し初代校長に就任しました。洞爺丸の海難事故で、生涯を終えた時は52歳でした。日本で素晴らしい働きをした先生方です。この時、自分達に与えられた神の知恵が、究極の状況の中で、何が自分と相手にとって良い事で、神に喜ばれる事かを判断させ、実行させたのです。その結果、目の前にいる人々を助ける事を選択をし、命を捨てたのでした。 これは極端な例だと思います。しかし、私達も時に、この事とあの事、この人とあの人、自分とあの人といったように、究極の選択を迫られる時があります。迷います。後悔したくないからです。でも、何が正しいか、将来どうなるかも、推測はできても、確かな事は私達には分かりません。必要なのは神の知恵です。ソロモンが、善悪を判断して神の民を裁く為に、聞き分ける心を神に求めたように、私達も人と人との関わりの中で、善悪を判断して相手の言動の意味を理解できるよう神の知恵を求めましょう。それには先ず、自分が主に愛されている事を、相手も自分も神の国に生きている事を実感しましょう。神はその私達に神の知恵を与えてくれます。それによって、私達は自分と相手にとって一番必要な事を知り、それを選択し、実行できます。自分がその人の隣人になれるからです。その時、「神の国はあなたがたのただ中にある」との主の御言葉が成就しているのです。 |