| メッセージ(大谷孝志師) |
| 結果を神に委ねる信仰 |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年7月17日 サムエル記 24:1-23「結果を神に委ねる信仰」 牧師 大谷 孝志 |
サウルはイスラエルの最初の王です。出エジプト後、カナンに定住した民は強大な敵ペリシテ人と戦わなければなりませんでした。民はこれまで族長、士師に率いられて外敵と戦ったのですが、より強力な指導者として王を与えるよう神に願ったのです。それは神は目に見えないので、目に見える王が与えられるなら、その方が安心と思ったからです。預言者サムエルはそうすると民の心が神から離れることになるからと拒みました。でも彼らは、他の国々のように戦いを主導する王が欲しいと願い続けたのです。 主は彼らに「王は絶対君主として民を奴隷として支配し、軍事、農耕、牧畜の全ての面で1/10を王の所有物として奪い、自分達が選んだその王の故に泣き叫んでも、主は答えない」と、王と民の関係と王が持つ権利をサムエルに伝えさせました。民はそれでも王が必要と彼に訴えたので、彼がその事を主に伝えると、主は彼にサウルに油を注いで王とさせたのです。 しかし、サウルは主の命令に背き、主の怒りを買ったので、王位を取り上げ、別の者に油を注ぎ王とするとサムエルに宣言します。それがエッサイの子ダビデです。王の家来となったダビデは信仰が篤く、勇猛果敢で、行く所、どこでも勝利を収めます。サウルは彼を恐れ、先ず懐柔しようと娘ミカルを妻として彼に与えます。しかし、主が彼と共にいて、娘も彼を愛していると知った王はますます彼を恐れます。王は、このままでは自分の地位が危ないと、彼を殺そうと精鋭を連れて追跡したのがこの個所です。 王は彼がエン・ゲティの荒野に潜んでいるとの情報を得てやって来ましたが、用を足したくなり、そこにあった洞穴に入ったのです。しかしその奥には、ダビデと部下達がいました。すると部下達はダビデに「主があなたに、彼を良いようにせよと言われたのです」と彼に言います。すると、彼は王を殺すのではなく、暗闇の中で、王に近付き、こっそりと上着の裾を切り取ったのです。しかし彼はその事で心を痛めます。何故かと言うと、彼には、王が主に油注がれた方であることが絶対的意味を持つからです。 王が人間的に見てどうであっても、彼の次に自分が王となることを彼も知っているとしても、彼が主に油を注がれた王であることは、否定できない事実なのです。その主を辱めることはしてはならないことだからです。 ダビデのは一つ一つの記事を読むと、彼は悉く、主に尋ね、主は直ぐに彼に指示を与え、彼はそれに従っています。父なる神と主イェスと同じ関係です。私達はしたくても到底できない関係と思っていないでしょうか。その不可能が今や可能になっているのです。主は、私の父はあなたがたの父でもあると教え、「私が父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがとともにいるようにしてくださいます(ヨハネ14:16)。」との主の約束が、今実現しているからです。 さて、サウルが洞穴から出ると、ダビデも出て行き、後ろから「王よ」と呼び掛けます。王はイスラエル全軍の中から三千人の精鋭を率いて彼を殺す為に来ているのです。彼はそれを承知で王の前に出、ひれ伏して、礼をします。そして、自分が王をどう思っているか、実際にどのような行動をしたのかを告げます。そして「主が私とあなたの間を裁き、主が私のために、あなたに報いられますように。しかし、私はあなを手に掛けるようなことはいたしません」と言います。そして更に、王が人に唆され、思い込みで、無力で罪を犯していない自分を追い回していることを、主が裁き、私を王の手から救って下さるようにと主に願っている、と王に言います。 するとサウル王は自分の非を認め、ダビデを安全に去らせます。ダビデは主を信じ、主がこのようにして下さると信じていたから、このようにしました。しかし、川に架かる丸木橋を渡れると信じるのと、実際に踏み出して渡るのとでは雲泥の違いがあります。何故彼にできたのでしょう。彼は、主が全てを支配する世界に生きている自分として語り、行動しているからです。彼は主が王として立てたサウルに殺されるかもしれないが、そうなったらそれも御心と心に決め、恐れずに、彼の前にひれ伏したのです。 私達なら、恐怖の方が先に立ち、躊躇するかもしれません。しかし彼は主が自分と王に共に油を注ぎ、王とし、王とするとの御心を知っています。その主が私が王となる前に私を殺させる筈はないし、サウルも、油注がれた王なので、主が決めたことに従い、私を殺さないと信じ、結果を主に委ねたから、このように行動し、王に自分の思いを語ることがでたのです。 私達も様々な局面に立たされ、決断を迫られることがあります。どんな結果になるかを想像する時、多くの場合、良い方の確率が高いと思っても、悪い方を思い、不安や恐れに心が縛られることがあります。ダビデが結果を主に委ねたように、私達も主に結果を委ねましょう。私達が信じる主は万物の主なのです。全ては御手の内にあり、敵と思う人、味方と思う人も、信徒も未信者の人も主の愛と導きの中にある人なのです。確かに周囲には、信じられる人、信じられない人、無関心な人、距離を感じる人と様々です。先ず、全ての人、時、場は、主の御手の内にあると信じましょう。安心して人と接し、主を信じて生きられます。「私は主イエスを信じ、救われている」という原点に立つことが大切なのです。そうすると、先の事、結果を主に委ねられ、教会の中、この世の中で、安心して喜んで生きられます。 私達は日々現実の中に生き、将来は想像するだけです。将来は私達の言動によって決まると思うかもしれません。確かにそれが契機にはなります。しかし、将来は私ではなく、主が与えるものです。確信が持てず、暗中模索し、あれこれと悩むのでなく、ダビデがしたように、私を、私と接する一人一人を愛し、導き、将来を与える主に結果を委ねましょう。今も将来も全ては主の御手の内にあると信じる、それが私達の生きる道だからです。 |