メッセージ(大谷孝志師)
心の壁を打ち破ろう
向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年7月24日
使徒 10:14-23「心の壁を打ち破ろう」 牧師 大谷 孝志

 説教も心の壁を破る一つの大切な手段です、説教で大切なのは釈義と黙想です。釈義は聖書のこの言葉は何を意味し、何を私に語り掛けているのかを調べること、黙想は瞑想とも言いますが、釈義で調べたことを心て反芻し、この聖句が今の私と会衆に何を示しているのか主に尋ねます。祈りつつ主に心を向け、主が語り掛ける御声を心で聞き取り、それを心で反芻します。それを文章化し、会衆に語ったものが説教です。時に説教は聞く人の心に届き、自分にはどうにもならない状況にしている心の壁を打ち破って、新しい自分として、新しい歩み始めさせる為の手段ともなります。

 今日の箇所のコルネリウスはイタリア隊の百人隊長で、敬虔な人で神を恐れ、いつも神に祈りを捧げるす。外国人のユダヤ教徒です。しかも、22節で、彼がペテロの所に遣わした人々が述べているように、ユダヤ人全体に評判の良い人でした。主は何故その彼をペテロに遣わしたのでしょう。外国人とユダヤ人の壁を、打ち破らせる為でした。主は弟子達に、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい(マルコ16:15)」と命じました。しかし、ガラテヤ2:12に暗示されているように、ペテロとヨハネと共に主の兄弟ヤコブが柱の一つになっていたエルサレム教会は、ユダヤ教の色彩が強い信仰を保持、外国人に対して壁を作っていたのです。

 そして、イェスをローマ人の手で十字架に付けて殺したユダヤ教の指導者達の方でも、福音を宣べ伝え、民衆を惹き付け、大きく成長しつつあるエルサレム教会に強い恐れを抱いました。そこで彼らは保身の為に、教会の中で恵みと力に満ち、目覚ましい働きをしていたステパノを捕らえて、最高法院に引き出し、裁判に掛けました。彼が堂々と福音を宣べ伝えると、彼らは歯ぎしりをして怒り狂います。しかし聖霊に満たされ、天を見つめた彼は、神の栄光と神の右に立っておられるイエスが見え、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言います。人々は神を冒涜した彼に、大声で叫びながら殺到し、石打ちの刑で殺します。

 その日、エルサレム教会に対する激しい迫害が起き、使徒達以外はユダヤとサマリアの諸地方に知らされました。しかし10:28でペテロが言うように、ユダヤ人にとっては外国人は汚れた人々なので、彼らと交わったり、訪問することを神が許さないと考え、彼らに福音を伝えていなったのです。

 さて、ペテロがヤッファという町に滞在していた時、夢心地になり、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥が入っている大きな敷布のような入れ物が、四隅を吊されて降りてくるのを見ました。すると「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」と言う声が聞こえたのです。彼ができないと言うと、「神がきよめた物をあなたがきよくないと言ってはならない」と言い、これが三回あってから、その入れ物は天に引き上げられました。

 では何故、この事が三度繰り返されたのでしょう。エルサレム教会への大迫害で、使徒達以外は皆、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされました。その中の一人でで、ステパノと共にこの教会で大切な務めを任されていたピリポが、ユダヤ人がかつては同胞であったが、今は汚れていて神の民ではないと見ていたサマリアの人々の町に行って福音を宣べ伝え、多くの人々が主イエスを信じてバプテスマを受け、救われたのです。エルサレムにいた使徒達がその事を知り、ペテロとヨハネを遣わし、二人がその人々の上に手を置くと、人々が聖霊を受けるという素晴らしいことが起きました。しかし、そのような目覚ましい出来事が起きても、エルサレム教会は、古いユダヤ教の信仰から抜け切れず、律法に縛られ、外国人との間に高い壁を作ったままでした。その壁がペテロにも有ったからです。ですから神は、先ず教会の指導的立場にいる彼にその壁を打ち破らせる為に、「神がきよめた物を,あなたが清くないと言ってはならない」と教えたのです。主イエスの十字架の死によって、全ての人の罪は赦され、既にきよくされているのです。実はここに、私達が世の人々に福音を宣べ伝える理由が有ります。

 福音を伝えても、殆どの世の人々は教会に来ようともしません。私もそうでした。しかし母に勧められたにしろ教会に行くようになり、最初はキリスト教の教えを馬鹿にしていましたが、主イエスを信じて救われました。どうしてでしょうか。主の十字架によって罪を赦され、清いものされていたので、御霊が共にいて導いていたからです。初めは馬鹿にし、壁を作っていた私は、御霊の導きがあったにしろ、壁を打ち破れました。それには、笑顔でクリスマス会に誘った目に見える先輩という助け手が必要でした。

 ペテロもあらゆる国の人々に福音を宣べ伝える使命が有ると知っていました。しかしユダヤ人の彼にとって、外国人との間のこの壁は超えられない壁でした。私達の周囲にも他の宗教を信じる人や寺の檀家や神社の氏子になっている人が多くいます。教会に誘っても現状に満足していると感じる人が殆どです。しかし、高く強固な壁があるように思っても、彼が思っていた壁と同じで、神がヤッファで彼に見せた物で教えたように、その壁は既に無くなっているのです。彼が考えている強固で高い壁は、自分が自分の心の内に作っている壁に過ぎないのです。それが余りにも強固で高いので、神は三度彼に同じものを見せて、その壁を打ち破れと教えたのです。

 世で私達に接して来る人は、主が私達に遣わしたコルネリウスなのです。その人の為に主が十字架に掛かって死に、復活して働き掛けていて、滅びることなく、その人自身の決断により、悔い改めに進み、主イエスを自分の救い主と信じ、救われる者となるのを主は忍耐して待ち望んでいる人なのです。身近か疎遠かに関係なく、神はその人に福音が必要だから、接する機会を、私達と相手の人に与えているのです。先ず自分の心の内にある強固で高い壁に気付き、その壁を打ち破り、その人に福音を伝えましょう。