メッセージ(大谷孝志師)
新しい世界、神の国に生きる
向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年8月21日
使徒 1:1-14「新しい世界、神の国に生きる」 牧師 大谷 孝志

  私達は朝起きて寝るまで、色々なことを考え、判断しながら生活しています。子供の時は子供なりに、大人になれば大人なりにそうしています。その考え方や判断の基準となるもの、考え、判断した事を実行に移せるのは、身に着けてきた知恵であり、身に付いている力です。しかし入学したり、就職したり、結婚したり、転居したりして、それ迄とは大きく異なった社会の中に入ると、自分の知恵や力が通用しないので、大きなショックを受けることがあります。年度の変わり目にそのような変化を経験する人が多いようです。しかし、それは転機と言えるもので、新しい自分を再発見する良い機会ともなるのですが、そこで落ち込んでしまう場合もあります。

 私の若い頃に、入学や就職という大きな目標を達成した後に、新しい目標が見付からずに、無力感や脱力感が生じ、五月病という症状に悩まされる人が多く出て来たことが社会問題になった記憶があります。しかし、それ迄の自分の知恵や力が通用しない社会に置かれた時こそが、自分の内に有って、自分が自覚しなかった本来の自分に気付かされる良い機会になるのです。ですからそれに気付き、現状を前向きに捉え直せると、新しい夢や希望を見出す良い機会になると思います。人は誰も、子供の頃にこんな人になりたい、あんな事をしたいと大きな夢や希望を抱いたのではないでしょうか。私も小学校の卒業文集に「将来は電電公社総裁になる」と書いた記憶があります。父が当時の電電公社に勤めていたからです。子供の頃は何でも出来るような気がするからです。それに、人が夢や希望を実現する迄に、どんなに苦労し、努力したかが判らないからです。とは言え、人は様々な経験をしながら、一つ一つの出来事に一喜一憂し、喜怒哀楽を繰り返しながら、成長していきます。また、大人になってから新たな夢や希望を抱いて人生を大きく転換させる人もいます。例えば定年後に、或いは小学校の教師を辞めて神学校に入り、伝道者になった人もいます。周囲の人は驚きますが、その人の人生はその人のもの、いや、神のものなのです。そして一度きりの人生です。「人生一生勉強」の気概を持ち、神が示した道を、目標に向かって全力を尽くす姿は周囲の人に良い刺激を与えています。

 人は大小様々な人生の転機を経験しながら生きています。前向きに物事を考えられる時は良いのですが、ショックが大きすぎて自分を見失いそうになることもあります。今日の個所は主イェスが十字架に掛かって死に、復活した後の事ですが、この出来事を経験した弟子達のショックは並大抵なものではなかった筈です。全く新しい世界に叩き込まれたのですから。それ迄も主との生活の中で、不思議な経験をしてきましたが、それ迄の常識として持っていたものが全てひっくり返されたのです。しかし多かれ少なかれ、私達もキリスト者として同じような経験をしていると思います。

 私達は今日の御言葉を通して、自分が突然大きな転機に立たされた時、主が私達にどのように関わって下さるのかを知らされます。先ず第一は、主が弟子達に知らせたように、ご自分が生きていることを数多くの証拠をもって知らせるのです。私達は今、主を直接見ることはできません。しかし、自分や周囲の人達の信仰生活に、主が共にいるしるしを見て、今の自分を安心することができます。目の前の事態や局面にどう対処したら良いか判らなくなった時、主がそんな私達を放って置かず、意味や道を示してくれているのです。自分が何としなくてはと思うと、不安や恐れに囚われます。先ずは、主が共にいると信じましょう。落ち着きを取り戻せます。主はその私達に、見聞き出来る形で、つまり聖書を、説教を、同信の友の話を通して、今がどんな状態か、今後どうなるのかを教えてくれるのです

 主イェスは、弟子達に教えたように、神の国について私達にも教えています。この神の「国」という言葉が重要です。国という言葉は「玉」を囲む領域を表し、ギリシア語の「国」バシレイアーも支配領域を表します。主の公生涯の第一声も「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。そして主の十字架と復活により、この世が神の国、神が支配する領域、世界になったのです。主イェスはヨハネ10:30で「わたしと父は一つです」と言いました。ですから今、自分達の目の前に主がいることは、神が共にいることなので、神の国にいると知らされたのです。

 主の十字架と復活により、突然大きな転換点に立たされた弟子達は、自分達の知恵と知識で判断するしかなく、混乱していました。復活の主が自分達に現れたことにより、自分が今置かれている状況を理解できたのです。

 私達は教会に来て、イェスが自分の主であり、救い主と知らされました。私も彼らが信じている神の国、新しい世界に生きていると言われました。私も転換点に立たされたのです。でも、とても信じられませんでした。彼らの生き方に良いものは感じました。しかし彼らが信じていることは意味不明で、彼らの妄想としか思えませんでした。しかし突然信じられました。主の声が心に響いて、主が今もいると判ったのです。彼らが信じている神の国、新しい世界に叩き込まれたのです。私の人生は大きく変わり、全てがひっくり返されました。そして、礼拝や祈祷会、様々なグループでの兄弟姉妹との交わりの中で、学びと訓練を経験する中で、この世界、神の国の素晴らしさを味わえました。とは言え、四苦八苦、生、老、病、死の四つの苦痛と愛別離苦、愛する者と別離する苦痛、怨憎会苦、怨みや憎しみに会う苦痛、五蘊盛苦、心身盛んなるが故の苦痛が無くなった訳では無く、度々襲い掛かって来ました。でも堪える力が湧き上がり、新しい道を見出せました。弟子達も主との40日の生活の中で、主に助けられ、、教えられ、神の国に生きるに相応しい者に変えられ、主の羊として世に生きました。私達も主に生かされ各々の状況の中で生き生きと生きる者となりましょう。