| メッセージ(大谷孝志師) |
| 私達に託されている使命 |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年8月28日 使徒 2:36-42「私達に託されている使命」 牧師 大谷 孝志 |
人には誕生と死があるように、物事には全て始まりと終わりがあります。聖書も天地創造に始まり、この世の終わりに起きる出来事の預言と新しい世界の始まりを待ち望む言葉で終わっています。始まりがあり終わりがあるからこそ、私達は希望を持って一日一日を着実に生きることができます。 人は必ずしも現状に満足していません。これが有れば良い、こうなって欲しいと思う事の一つや二つは誰にでも必ず有ると思います。そのような時、私達は主イエスを信じているので、何故、どうしてと考えるのではなく、私に必要でないから主が与えないのだ、必要な時が来たら主が与えると考えられると信じ、自分は今それが必要だと思っても、実はそうではなく、主が定めている時が来たら、必ずそれを始めて下さると信じ、全てを主に委ねて安心していられます。また、この状態は何時迄続くのかと不安になる時が有ります。しかし主を信じていると、二つの良い事があります。一つは、始まっていない場合にも言えることですが、今は判らないけれど、全てを知る主がこの状態が私や私達に必要としているからだと信じられることで、もう一つは、これには必ず終わりがあると信じられることです。そう信じると、今がどんなに辛く苦しくても、終わりがあると信じると、耐えられます。そして苦労しているからこそ、忍耐力が身に付き、忍耐する中で練達していきます。人としての品性が練れてくるから、物事を達観し、希望を持って喜んで生きられるのです。パウロがローマ5:3,4で「苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私達は知っているからです」と言っている通りです。ですから、主イエスを信じる私達は、全ての事には始まりがあり、終わりがあると信じ、いつも喜んで生きられます。 この主イエスを信じる者に与えられる喜びを伝え、この福音を全世界に広めるために約二千年前に始まったエルサレム教会の働きを、現在の私達が引き継いでいるのです、その悠久の歴史の最先端に私達は立っています。 ヘブル13:8に「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることはありません」と有りますが、教会の働きもまた、変わることなく続けられて来て、これからも続けられて行きます。教会の歴史に残る最初の説教者はペテロです。それは13節以降にあります。彼は先ず、ペンテコステの日のこの驚くべき出来事は旧約の昔から約束されていた世の終わりの日についての預言の成就と宣言します。終わりの日が来ることはユダヤ人には神の最終的裁きの日が来ることを意味したのです。ですから、人々は彼の説教を聴き、自分達が目に、耳にした出来事と相まって、正にこのままでは自分達は終わりだと思い、震え上ったのです。それを「心を刺され」という新約聖書通ここにしか見られない非常に激しい言葉が表しています。 人々は、イェスが十字架に掛けられて殺されたのは当然だと思っていました。しかし、聖霊に満たされたとしか思えない弟子達の様子とペテロの話を聞いた人々は、このままでは自分達は神に滅ぼされると思い、どうしたら良いのか全く判らず、混沌の中に落とされ、絶望状態になったのです。 20世紀末に、ノストラダムスの大予言がマスコミの格好のネタになっていました。千年前にも「千年至福説」を信じて喜ぶ人もいれば、ヨハネ黙示録に預言されている今の天と地が御前から逃げ去り、新しい天と地が現れ、聖なる都、新しいエルサレムが天から下って来る世の終わりが来ると、神に背く者は皆、火と硫黄の燃える池に放り込まれると恐怖心を煽る人々もいて、かなりの混乱がありました。前世紀末は、それ程大掛かりでは無かったものの、それでも、終末感を煽る宗教が登場し、財産を全て売り払わさせたり、集団自殺をしたりと、世間を騒がせる事件が多発しました。 さて五旬節の日に、世の終わりの始まりの出来事が起きたのは確かです。しかしそれから二千年以上が経ちます。確かにマルコ13:8に有るように、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震が有り、飢饉も起るからです。これらのことは産みの始まり」が起きているのは事実です。私達は人殺しの戦争で、災害で苦しむ人の為に救いと平和を祈ることが大切ですが、一向に世の終わりが来ないことに安心せずに、その日に備えて世の人々に福音を伝えていく使命を託されるのです。世の終わりは必ず来るので、人々がその日に救われるようにと福音を伝え続けましょう。 黙示録の最後22:20には「これらのことを証しする方が言われる。『しかり、わたしはすぐに来る」アーメン。主イェスよ、来てください。主の恵みが、すべての者とともにありますように。」と記されています。ですから、初代教会の人々は福音宣教に熱心でした。人々に福音が届く前に世の終わりが来て、福音を知らず、主イエスを信じないままで死ぬようなことがあったら、自分達を救い、福音宣教の働きをさせている主に申し訳ないと思ったからだと私は思います。聖霊に満たされる凄まじい体験をした彼らは、主イエスを信じれば救われ、信じなければ滅ぼされると真剣に考え、必死にこの使命を果たしました。ですから今の向島キリスト教会が有ります。 今の私達も同じ使命を託されています。私達も聖霊に満たされ、主の私達への命令を真剣に受け止め、明日にも世の終わりが来るかもしれないと考えましょう。そう信じ、今日を真剣に福音を信じ、宣べ伝える者として生きましょう。毎日そんなに真剣に生きていたら身が持たないと思うかもしれません。でも、使徒達のように聖霊に満たされるなら、そんな心配は吹き飛んでしまいます。「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成してくださると、わたしは確信しています。」とパウロは言います。今が必ず来る終わりの日が来るまでの福音宣教の為の日々と信じ、明日に向かって主と共に生きていましょう。 |