| メッセージ(大谷孝志師) |
| 神を信頼する者に |
| 向島キリスト教会 礼拝説教 2024年10月27日 ダニエル 1:1-21 「神を信頼する者に」 大谷孝志師 |
ダニエル書は私達に「神を信頼する者は、異教の地においても豊かに守られる」と教えています。この書の時、ユダヤは南北に分裂し、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされています。その後、南ユダもバビロニアに滅ぼされ、主だった人々がバビロンに捕囚として連行されています。ここに書かれているダニエルらは、その民の中にいた四人の少年達です。そのダニエルのバビロンの王ネブカドネツァルからペルシャのキュロス王の治世の間の出来事が記されています。2節が「主は」で始まっています。これにより、ここに記される全ての出来事は主の御心によって行われていることが示されています。 この時代、王が捕囚の民、つまり異なった文化、文明の民の中から優れた者を捜し求め、重用することがよく行われていました。ですから、バビロンの王も、ユダの王族や貴族の中から数人を選んで連れて来させました。選ばれたダニエル達が心身共に素晴らしい者達であると、征服者達からもそう認められたと有り、言外に、神は全てを整えている方であると教えています。 彼らは王から最高の飲食物を与えられて三年間、養育されます。彼らの内にユダ族、つまり主イエスに繋がる家系のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいました。彼らの名は皆、イスラエルの神に関係する名でした。しかし、王宮の宦官の長であるアシュペナズは、ダニエルにペテルシャツァル、ハナンヤにシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベ・デネゴと別の名を付けたのです。新しい名はバビロンの異教の神々に関係する名でした。宦官の長が、お前達は今、自分達の神のもとではなく、バビロンの神々のもとに生きているのだ、自分達の信仰を捨ててこの地で生きよ、と命じたのです。しかし、ダニエル達はその圧迫に負けずに、自分達の神に徹底して仕える者であると王に認めさせたことが3章までに書かれています。 さて、ダニエルは「王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め」、他の少年達も同調します。彼らが飲食で身を汚すまいとしたのは、使徒10章のペテロのように、ユダヤ人は清くない汚れた物を食べることを律法で禁じられていたからです。それだけではありません、異教徒である王が食べる物は、偶像に捧げられた物である可能性が高いので、それを食べると律法に違反し、身を汚すことになるからです。そうならないようにして欲しいと、ダニエルが宦官の長に願い出ることにしたのです。宦官の長はは、頼まれても、もしあなたの言う通りにして、あなたたちの顔色が同年輩の少年達よりも優れないのを、もし王が見たら、私は首を王に差し出さなければならなくなりますと、ダニエルに言い、拒否します。しかし、「神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みと憐れみを受けられるようにされた」とあります。 ダニエルらの神が、このバビロンでも生きて働く神であることを明らかにしたのです。神が、宦官の長に彼らの信仰に恐れを感じさせたのです。対処に困った彼は、世話役を任命し、彼らとの交渉に当たらせました。ダニエルは交渉役である彼に「どうか十日間、しもべたちを試してください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。そのようにして、私たちの顔色と、王が食べるごちそうを食べている少年たちの顔色を見比べて、あなたの見るところに従って、このしもべたちを扱ってください」と言います。彼は捕囚の民です、自分の立場が弱いことはよく判っています。しかし、彼にとって最優先にしなければならない事は、食事等によって身を汚されずにいることであり、神に喜ばれ、受け入れられる者でありたいと願う自分達を、神は必ず守り導き、良い結果を与えると信じていることなのです。聖書は、神を信じる者はどんな状況に置かれたとしても、神に喜ばれる者であろうとする者達を、神は必ず守り抜くと信じることが大切と教えています。 彼は臆せずに、宦官の長が任命した世話役に申し出ました。彼にしても、宦官の長と同じ事を危惧した筈です。しかし、神は彼にも働き掛け、彼にダニエルの申し出を聞き入れさせたのです。彼は十日の間、彼らを試しました。 そしてその十日が終わると、四人は王が食べるご馳走を食べているどの少年よりも顔色も良く、体つきも良かったのです。神がご自身に忠実な者達を祝福したからです。これを見た世話役は、彼らが食べる筈だったご馳走と飲む筈だったぶどう酒を取り下げて、彼らに野菜を与えることにしたのです。ヘブル語では「取り下げ」と「与えることにした」には、継続を表す言葉が使われています。世話役がそれ迄と同様に、彼らに野菜等を与え続けたことを意味します。彼らが三年間という長い間、野菜だけを食べて生き続けたということで、聖書が、神は菜食主義を喜ぶ方であると教えているのではありません。そうではなく、ダニエルのように神は信頼するに足る方であると信じ、全てを神に委ねて生きることこそが、人としての最も良い生き方であること、それこそが、神の恵みに溢れた生き方になるのだと教えているのです。 ダニエル達が、征服者であるネブカドネツァル王の食べ物と飲み物を拒否したことは、捕囚の民である彼らに取って大きな危険を伴うことでした。それにも拘わらず彼らが拒否したことには、もう一つの大切な理由があります。王の食料を分け与えられることは、王に生活を支配され、占領されることを意味するからです。ダニエル達は、自分達が仕える神への本来の義務を果たす為には、異教徒の王ではなく、自分達が信じる唯一の真の神にのみに支配され、神に喜ばれる者であり続けようとしたのです。その為は、危険を顧みず、王への依存を示す象徴ともなる食べ物、飲み物を拒絶したと言えます。 さて、ダニエルらを含めた少年達を王の宮廷にに仕える者に相応しい者にしようとした王は、少年達を召し入れる為に命じておいた日数が終わると、宦官の長に命じて彼らを自分の前に連れて来させました。そして王がダニエル達と話してみると、全ての少年達の中で、誰も彼らと並ぶ者はいなかったのです。神が四人の少年に、知識とあらゆる文学を理解する力と知恵を授けていたからです。王が話してみると、王が求める以上の知識と理解力と知恵を授けられていたので、この四人は王に仕える者になりました。そればかりでなく、王が知恵と悟りに関する事柄を彼らに尋ねても、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍も優っていました。神はご自分がただ一人の神であることを示す為に、ご自分を信じ、従う者に豊かなものを与え、栄光を表す方であると聖書は教えています。神は更にダニエルを、全ての幻と夢を解くことができる者としました。それによって、2章以降の記事の中で、神がこの異教社会の中でも、ご自分が彼らの神であることを明らかにしていきます。私達が信じる私達の父である神、主であり、救い主であるイエス・キリスト、真理の御霊である助け主である聖霊の三位一体の神こそが、唯一の神であることを、聖書は旧約の時代から、今の私達に指し示しているのです。 最後にこのダニエル書が正典であることの意味を考えましょう。正典ですから、ここには神の意志と本質が明らかにされています。聖書が証しする神は、どんな困難な状況に置かれていても、神を信じる者にとっては信頼に値する方なのです。私達神の民には、地の塩、世の光であるという果たすべき役割が与えられていますが、その役割を果たせるとの確信を、神は聖書を読む者に与えます。この書の捕囚の民であるユダヤ人ダニエルが勝利者となれたことで、私達も異教社会の中でも、神を信頼するなら、神はその信頼を失わずに豊かに持たせると教え、勇気を与えて神の民としての私達を前進させるのです。何故なら、彼らが、私達が信じ従うイスラエルの神は、勝利者だからです。主イエスも「あなたがたは…世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝ちました。」と言います。感謝です。 |