メッセージ(大谷孝志師)
信仰が前進し喜びが溢れる為に
向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年10月30日
ピリピ1:19-30「信仰が前進し喜びが溢れる為に」 牧師 大谷 孝志

 パウロは3,4節で、この手紙を受け取るピリピ教会の人々の為に祈る度に、いつも喜びをもって祈っていると言います。この他にも、パウロとこの教会との親密で暖かい関係を思わせる記述が数多くあります。それは彼らが主の福音を聞いて、主イエスを信じて救われ、キリストの体である教会の一員として、福音を伝え続けて来ているからです。私も、主を信じ救われた皆さんが、教会の成長の為に自分に出来る奉仕をし、更に家族や知人に福音を伝え続けている姿を見、主が喜んでいると感じさせられています。
 さて彼は6節の「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています」と、25節の「あなたがたの信仰の前進と喜びのために」で、信仰は、私達も感じているように、これで十分と満足する性質のものではないと教えます。「良い働き」と言うように、私達は主イエスを信じられたことを喜んでいます。でも、完成を目指して成長している途上であることを忘れてはいけないのです。誰にも気付いて直すべき所があるからです。彼は自分の人生について「生きることはキリスト、死ぬことは益です」と言います。死ぬことが益なのは、彼の願いは、世を去ってキリストともにいることだからです。「生きるとはキリスト」なのは、主イエスが世に生きていた時のように、世の人々の救いの為に自分も生きようとしているからです。彼がその人生の中で経験した労苦がUコリント13:23-27に列挙されています。それらの一つ一つは非常に辛いものです。しかし人として世に生きた主の苦しみを知る彼は、自分が受けたそれらの労苦を喜んで耐えてきたのです。それは、この教会の人々の信仰の前進と喜びの為には、自分が生きながらえて、彼らと共にいることが必要と知るからです。私達もこの世に生きていると、自分の信仰の未熟さ、弱さを痛感させられることが度々あります。私達はそんな時、自分の弱さが嫌になってしまいがちです。しかし、彼は自分の弱さを誇ると言い切っています(Uコリント11:30)。何故なら、彼は自分が世に生きているのは、主に生かされているからと知っているからです。自分は主のものだと知っているからです。だから彼は自分の弱さを当然なものと受け止め、誇れるのです。私達が自分の弱さに押し潰されそうになるのは自分を主に明け渡していないからです。彼はダマスコ途上で主に会い、十字架に掛かって死んだ主が、今も生きていると知りました。この世界の全てのものの主である主イエスが、自分に関わって来たのです。彼の人生は一変しました。同じように、この教会の人々も私達の人生も、主イエスの存在を知り、その主を信じて救われた時、一変しているのです。しかし彼が言うように、事実として私達の信仰の前進と喜びが十分ではありません。成長が必要なのです。彼の言葉を私達も受け止め直しましょう。。

 どうすれば良いのでしょうか。パウロは信仰が前進し、喜びに満ち溢れる為には福音に相応しく生活することだと教えます。でも、どうすれば福音に相応しく生活できるのでしょう。漠然過ぎて分かりにくいです。でも、彼は「そうすれば」と言い、その生活をした結果から出来る方法を示しています。霊を一つにして固く立つ生活。福音の信仰の為に心を一つにして共に戦う生活。どんなことがあっても、反対者達に脅かされることのない生活がそれです。言葉を換えて言うなら、主が私達に求める生活、主に喜ばれる生活をすれば良いのです。最初の二つは「一つにして」が共通しています。一人でするのでなく、皆で共にということが必要なのです。互いに祈り合い、励まし合い、支え合う教会になることによって、一人一人の信仰が前進し、喜びが溢れるとパウロは教えます。しかし一つになる為には、皆が同じ主に?がるという縦の方向が同じになること、一人一人がしっかりと主に心を向けていることが必要になります。それよって、お互いという横の繋がりがしっかりし、「共に」が可能になります。そのように縦と横の繋がりがしっかりすることにより、「霊を一つにして堅く立つ生活」「福音の信仰のために心を一つにして共に戦う生活」ができるのです。何故そのように「共に」が必要なのでしょう。それはUコリント11:26の様々な「難」が示すように、福音の前進を阻もうとするサタンの手先となっている「反対者たち」の力が強いからです。その戦いに打ち勝つ為には、互いに助け合い、励まし合い、支え合う仲間が必要だからです。そして、そのようにして共に戦うことが、彼が29節で「あなたががキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです」と言うように、恵みの時となります。確かに悪の力と戦うことは苦しみが伴います。しかし、それは同時に主キリストの愛、同信、同労の友である兄弟姉妹の愛を受け取る恵みの時でもあるのです。

 しかしその為にはもう一つ大切なことがあります。それは、彼が苦闘しながら模範を示しているように、一人一人が、「うしろのものを忘れ、前に向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っている(3:12,13)」ことです。この「後ろのものを忘れ」は、過去はどうでも良いとの教えではありません。人は過去に縛られると、今や将来すべき事が良い事、必要と分かっていても、自分を抑制してしまい、できなくなることがあるのです。過去の自分から解放され、今の自分を大切にして、将来に向かって生きるようにと読者に勧めているのです。次の「前に向かって身を伸ばしなさい」も、なるようにしか成らないと自分で諦めずに、目標を達成したいという自分の意思をしっかりと持って、この世で信仰生活することです。そのように、先ずは自分が、そして兄弟姉妹、そして主イエス・キリスト共に生きるなら、信仰の成長と喜びが溢れる生活が出来ると彼は教えます。