| メッセージ(大谷孝志師) |
| 真の勇気が人を動かす |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年11月13日 使徒 5:27-42 「真の勇気が人を動かす」 牧師 大谷 孝志 |
私がこの教会に赴任して8年目、そしてこの教会の歩みが始まって78年になります。「年年花相似、歳歳年年人不同」と言うように、来年3月で私はこの教会の牧師を引退し、この教会の牧師ではなくなります。どんな教会でも時が来れば牧師は変わります。牧師だけでなく人も変わります。私が赴任してからも、暫く離れていた教会員が戻り、転入会した人やバプテスマを受ける人々があり、この教会の幼稚園児だった人が来たりと、礼拝の様子も変わってきています、また祈祷会も徐々に出席者が増え、み言葉の学びの後の語り合いの時も、それぞれの信仰生活を知り、自分の信仰を改めて考えさせられるなど、礼拝とは違う恵みを味わう時となっています。 来年、誰が牧師になるかは分かりません。しかし、大切な事は「年年歳歳主相似、歳歳年年人不同」です。確かに人は変わり、お互いの関係、関わり方も微妙に変化すると思います。しかし同じ主が皆さんとその一年一年に共にいて、護り導いて下さいます。「年々歳々教会相似たり、歳歳年年人同じからず」でも良いのです。その時々、人の様子や姿は変わって見えたとしても、神が教会にした事は、全て時にかなって美しいからなのです。 とは言え、希望の時、失意の時、喜びの時、哀しみの時、賑やかな時、寂しい時と様々な時をこれからも経験すると思います。しかし大切な事は、どんな時でも一人一人が主と共に、主の為に皆さんが力強く働き続けることなのです。勿論、大きな変化が生じるかもしれません。しかし、使徒の働きを読むと、生まれたばかりのエルサレム教会も目まぐるしく変わっていたのです。使徒達自身の生活も同じでした。彼らが主イエスとこの世で行動を共にする前は、漁師や取税人等でした。しかし彼らは、その現場から主に「わたしに付いてきなさい」と言われて弟子になり、主と寝食を共にしたのです。主は定住して律法について教える教師ではなく、各地を旅をしながら、会堂などで教える巡回教師でした。ラザロ家族のような裕福な支援者もいましたが、石を枕に野宿することもあったようです。決して豊かな生活ではなくても、弟子達はその生活に満足していました。主イエスの言葉、人々に接する姿勢に彼らの心が豊かに養われ、夢があり、希望も有ったからです。しかし順調な時だけでなく、追われるように、人の少ない辺鄙な地域を旅することもありました。しかし、どんな時でも彼らは安心でした。主が全てを見通すように彼らを教え、導いていたからです。 主が最後にエルサレムに入った時大歓迎を受け、弟子達の思いは最高潮に達しました。しかしユダヤの指導者達は、民衆の支持を受けるイエスに警戒を強め、抹殺しようと思い、不穏な空気が町中に漂っていました。主から受難告知を度々聞かされていた弟子達でしたが、十字架の死が近いと主に言われると緊張が高まり、主が捕らえられると逃げ出してしまいます。 しかし失望し、主を殺したユダヤ人達を恐れて、閉じ籠もっていた時、主が弟子達に現れて平安を与え、その後も40日にわたって現れて神の国について教えました。主は天に上る前に、聖霊降臨の約束を彼らに与え、五旬節の日に約束通り聖霊が降り、聖霊に満たされた彼らは主の証人となり、力強く福音宣教を続けました。彼らの人生は目まぐるしく変わっています。 私達の人生も同じです。私は教会生活を始めてから伝道者になるまで10年でした。その後、宮城県と岩手県境の僻地で、大都市の周辺の地域の教会と、これまで10教会伝道所で主に仕えてきました。キリスト者として60年、伝道師、牧師としても50年生きて来ました。順調な時も有れば逆境の時もありました。私自身様々な時期を経験してきました。どんな教会に繫がっていても、ここを離れたら、どんなに楽かと考えたこともあります。 以前、或る教会員に「牧師さんは良いですよね。この教会に限界を感じたら、召命感を理由に他の教会に移れるのだから。信徒の私達はこの教会で生き続けなければならないんです」と言われ、心にグサッときました。その人はその教会で生き抜く勇気を与えられ、その教会を数十年支え続け、時が来て牧師になり、他の教会や同盟の為に素晴らしい働きをしています。 私達は何故教会の一員として生き、礼拝に出席し続けているのでしょう。使徒達がそうだったように、教会に属していることにより、礼拝に出席することにより、主に豊かに養われるからです。主が豊かな恵みを与え、必要なもので満たしているからです。そして「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」と主が語り掛け、励ましてくれるからです。そのように主イエスが共にいて、真の勇気を与えてくれるのです。宮の中で福音を語っていた使徒達は捕らえられ、最高法院の中に立たされます。一度は主から逃げ出した彼らです。しかし主は彼らをそのまままで受け入れ、新しい人として主の証人としたのです。イエスを神を冒涜する者として殺した最高法院の議員達は激しく怒り、彼らを殺そうと考えます。しかし主の使いに助け出されていた彼らは別人のように、福音を語ります。聖霊に満たされた彼らは生まれ変わったのです。 何が一番大事かを悟り、主イエスがどんな方かを、主の証人として圧力に負けず、大胆に福音を語ります。その彼らの生き様、姿勢が人々の中に理解者を生じさせました。彼らの勇気に、後にパウロの律法教育指導者となるガマリエルが心を動かされます。彼は使徒達が危害を加えられないように事を運びます。勇気を持って生きる時、意外な協力者の出現に感謝する時があります。主は生きて働き、様々な人を用いて御心を行うからです。 心を鎮め十字架と復活の主の前にいる自分を自覚しましょう。その主の御言葉に聞き従うなら、真の勇気を与えられます。希望を持って今を、主が備えている将来に向かって生きられるのです。主は、私達がどんな状況の中に置かれ立たされようとも、前向きに生きる真の勇気を与えられます。 |