| メッセージ(大谷孝志師) |
| 私達は神の家族 |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年11月20日 マルコ 8:20-35 「私達は神の家族」 牧師 大谷 孝志 |
私達は皆肉親という家族がいます。そして教会ではお互いを神の家族同士と考え、受け入れ合っています。しかし肉親でも自分達は本当の家族になっているんだろうかと、隙間風が吹いているような、何となくしっくりこない思いになる時が無いでしょうか。今日の御言葉は、肉親であれ教会の人々であれ、本物の家族になりと思う私達に大切な事を教えています。 家族以外にも親族、民族が有ります。家族は日常生活を送る上での最小単位です。他人の家族は外から見ていると良く見えますが、現実には温かい家族もあれば冷たい家族もあります。家族は絆が深く、他人が入り込めない独立した世界がそこにあります。そして、どんな家族になるかは、その家族一人一人の生き方に関わってきます。誰も温かく、理解し支え合える家族関係を望んでいます。では、主の家族関係はどうだったのでしょう。 主には両親と弟妹がいました。主が12歳になった時、両親と一緒にエルサレムを訪れています。父のヨセフは、主が福音宣教の生活に入って頃には死んでいたと考えられています。6:3に「この人は大工ではないか」13:55に「この人は大工の息子ではないか」と有るので、長男として父の跡を継ぎ、大工をしながら家族を支えていたと思われます。母マリアは主が生まれる前に、この子が神の計画によって生まれ、大切な働きをすると御使いに知らされていました。主が30歳半ばの働き盛りで公生涯に入り、家族から離れると、残された家族の生活は貧しく大きく変わったと思われます。 さて、主イエスの所に母と弟妹達がやって来て、外に立ち、人を送ってイエスを呼ばせました。冷たい感じですが、理由は21節に書かれています。家族は人々が「イエスはおかしくなった」と言っているのを聞いて、イエスを連れ戻しに出かけて来からです。主は各地を巡回しながら、神の御心やご計画を人々に教え、病んでいる人や苦しんでいる人々を癒していました。とても善い事、人々に喜ばれる事をしていたのです。でも家族にしてみれば、身内のことを放っておいて、他人の心配ばかりしているとしか思えず、そんな思いで悪い噂を聞くと、連れ戻さなければと思いやって来たのです。 私は、教会員の牧会に懸命になっていた時、妻も牧会の対象であるのを忘れ、その女性への配慮を妻も理解してくれているだろうと勝手に考え、妻を深く傷付けてしまったことがありました。それ以後、家族を牧会出来ない者に教会に来た人、来ている人の牧会は出来ないと心に深く刻み、注意し反省しています。主イエスは、家族が連れ戻しに来るほど、自分との関係が壊れていること、それが自分が家族から離れていることに原因が有り、家族の心が深く傷付いていることに、当然気付いていたと思います。しかし主イエスが家族の許に帰れば解決するわけではありません。主はこの事を通して、本物の家族になるには、何が必要なのかを教えていきます。 主は家族が自分を探しに来て外に来ていると知らせた人に、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」と答えました。その人は驚いたでしょう。私も初めてここを読んだ時、「何でそんな事を言ったのだろう」と思いました。主イエスが自分から家族との関係を切る筈はない、主はどんな人でも受け入れ、愛しており、自分の家族も当然その中に入っていると思ったからです。しかし母マリアはイエスがこうなることを様々な出来事から覚悟をしていました。しかし主が家を出ると、主がしている事より、自分の家族が人々からどう見られるかの方が心配になったのだと思います。例えば、家族の一人が自分に必要で大切な事をしていると分かっていても、それが社会に認められず、家族皆が白い眼で見られたとしたら、辛くなります。家族だから我慢と思っても、つい非難めいたことを言う弱さを誰もが持つのではないでしょうか。そして、時には家族間に亀裂が入ります。 主は彼への答えで、全ての人に自分の家族に対して正面から向き合わせようとしたのです。それにより、身近な自分の家族が本物の家族になり、そして全ての人を自分と同じ神の家族と思えるようになるからです。しかし、全ての人と言うと千差万別です。言動が自分と合わない人、理解できない人、一緒にいる事に不快を感じる人もいます。ですから主は、先ず自分の家族についての考え方から抜け出し、自由になる方向に人々を導いたのです。主はここで「わたしの」母、兄弟とは誰かと問い掛けましたが、これは同時に「あなたの」父、母、兄弟姉妹とは誰でしょうかという問い掛けなのです。全ての人が肉親ということで繫がる家族から、互いに人として心で繋がり合う関係になることが、本物の家族になることだからです。 それは同時に、お互いが神の家族になることなのです。神は全ての人が本物の家族、神の家族になることで、互いに助け合い、重荷を負い合い、励まし、戒め合え、教え合える家族になって欲しいと願っているのです。 主は「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と言います。誰でも自分は大事です。その大事な自分のように隣人を愛せるようになると、自身への見方が変わり、自分第一主義の考えから解放され、相手や第三者に自分と同じが重さあると分かります。価値観の転換が起きるからです。 主は「だれでしょうか」の問い掛けに続き、自分の周りに座っている人達を見回して「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟です。」と言います。主の周りの人々は、主と共にいて、御言葉を求め、御心を知ろうとしている人々です。神の家族、真の家族の一員となるにはそれだけでよいのです。主はこの人々を私の家族と言います。そして主は「だれでも神の御心を行う人、その人が私の兄弟、姉妹、母なのです」と言います。御心を行う為には何が必要でしょうか。主と共にいると意識している事、御言葉を求める事。聞いた御言葉を心に蓄えている事です。御霊が私達を助け、御心を行わせてくれます。私達は一人ではなく、神の家族の一人一人だからです。 |