| メッセージ(大谷孝志師) |
| 異郷の地で民を守る神 |
| 向島キリスト教会 礼拝説教 2024年11月24日 ダニエル 2:44-49 「異郷の地で民を守る神」 大谷孝志師 |
日本では、クリスチャンでなくても結婚式は教会でし、クリスマスイブのパーティーもしますが、年賀、お七夜、お彼岸の墓参りは日本人ならば当然との風潮が一般的です。、私達はクリスチャン人口が1%という異教の地に住んでいるのです。聖書は、私達が信じる天の父なる神は、万物の創造者で、全世界の支配者であると教えています。ダニエル書は異教の地に捕囚の民として生きたダニエル達の信仰者としての歩みが記され、この2章も神がご自身の栄光を、ダニエルを通して現した出来事が記されています。聖書は、私達がどのような所に住み、どのような時代に生きていようとも、そこは神の国、神が全てを支配している世界と教えています。日本は今、他国と戦争状態になく、平和です。世界には戦争状態、国民や民族が飢餓状態に苦しむ人々、国家権力による政治的、宗教的弾圧に苦しんでいる多くの人々がいます。日本でも江戸時代や第二次世界大戦中に、厳しい迫害を受けて多くの人々が投獄され、処刑されました。バビロンに捕らわれ、連行されたイスラエルの人々も偶像礼拝を強いられ、厳しい生活をさせられていたと思われます。しかし前月学んだように、占領国の王が被征服民族の長所を学ぶ姿勢をもっていました。またイスラエルの人々もバビロン捕囚を自分達の罪の結果と捉え、神の民としての正しい生き方を知る為に、この期間の中で、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書等の預言書、み言葉、御旨を示された人々の言葉が編纂されたと考えられています。神に喜ばれる者となる為には、御心を正しく知り、そのみ言葉に立つことが大切と神に知らされたからです。 バビロン王は何度か夢を見、その為に心が騒ぎ、眠れなくなったのです。そこで王が国中の知者、学者を呼び、その夢の意味を告げるよう命じました。すると知者達は「どんな夢かを話して下さい。そうすれば、その意味を示すことが出来ますから」と王に告げます。すると王は、彼らの夢の解き明かしが真実と自分が受け止める為には、彼らがどんな夢かを告げなければその解き明かしの正しいさを信用できないと言います。王にすればそれが当然だと思ったからです。王は勿論、夢の意味が分からず、眠れないほど心が騒いでいます。ですから、知者達の答えを信じ、心の平安を取り戻したいのです。 しかし知者達も私達と同じ人間に過ぎず、王が見た夢が何かを想像することは出来ても、的確に答えることは出来ません。違っていれば、王に無能な者として叱責、排除されてしまいます。ですから彼らは「王がお求めになっていることはむずかいしことです。肉なる者と住まいをともにされない神々以外にそれを王の前に示すことが出来る者はおりません」と答えます。当然の答えです。しかし王はそれを聞いて怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者を全て滅ぼせと命じます。王は絶対君主ですから、家臣は王の命令に従わなければなりません。ダニエルの所に来た王の親衛隊長のアルヨクに、知恵と思慮深さをもって対応します。事を収める為に、彼に事の事情の説明を受けます。そして王の所に行き、その夢の意味を示す為に、しばらくの時を与えるように願い、王は彼の願いを聞き入れます。1章にあるように、王はダニエルが国中のどんな知者よりも十倍も優っていると知っていたからです。 ダニエルは家に帰り、怒り、猛り狂う王によって滅ぼされることのないように、自分の同僚のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに知らせます。王が見た夢の内容と意味を自分達に知らせてくれるよう、共に神に憐れみを乞う為でした。彼らは異教の地に住む捕囚の民であり、選ばれ、その優秀さを王に認められ、王に仕える者になっていても、王の意のままに全てが行われる事、自分達は一人の人間として神の御旨のままに生きる以外に生きる道はないと知っていました。世のこの秩序と神の支配の中に彼らも生きているからです。 すると、夜の幻の内に、この夢の内容とその意味がダニエルに明らかにされたのです。神がこの異教の地においてもご自分の民と共にいて、求めに応え、必要な知恵と力を与える方であることを示したのです。私達もこの日本という異教社会の中に生き、様々な圧力、時には無言の圧力に悩ませられる事があります。社会の一員として社会の秩序に従わなければならない時もあります。しかし、私達は日本という国に生きると共に、イエス・キリストが万物の主として支配している神の国に生きていることを忘れてはいけません。 ダニエル書を始め、幾つかの預言者の書がこのバビロン捕囚時代に編纂が開始されたと言いました。私達はこれらの書を通して、神が異教の地にいるイスラエルの人々に知恵と力を与え、ご自分が人が見聞きできる形で具体的に関わり、この民を護り導いたことを知ります。しかし私達はこの世に生きていて、主を見聞きしたくて求めても、この時のダニエルのように、御心を明らかに示されることは皆無と言って良いでしょう。ふと祈っている時、聖書を読んでいる時や悩んでいる時などに、み言葉が心に響いたり、御心を示されることが有ったという証しを聞いたことはあります。しかし私は、その人が人と話すように神と話したという経験を聞いたことはありません。先日も言いましたが、神と私達の関係は一方通行なのです。では何故、聖書には人の姿をした御使いが人と直接話した出来事が記されているのでしょうか。 それは、今も神が私達には見聞きできない形で直接関わり、私達に知恵と力を与え、道を開き、主と共に歩ませているのですが、私達にはそれを悟ることが出来ないだけなので、私達が現実に神の国に生きていると知らせる為なのです。ヘブル11:1「信仰は、目に見えないものを確信させるものです」とあるように、主イエスを信じるとは、この世がどのように見えようとも、私は今神の国に、主イエス・キリストと共に生きている、その愛の支配に包まれていると確信することです。ダニエルを始めイスラエルの人々にとっても、そこは異教の地であっても、神の国、神が全てを支配する世界でした。 ですから、神が王に見せた夢の内容と意味をダニエルは神から受け取れたのです。そして彼は「天に秘密を明らかにする一人の神がおられます。この方が終わりの日に起こる事をネブカドネツァル王に示されたのです」と言い。王が見たその夢の内容である巨大な像の姿とその像に起きた出来事の意味を話したのです。それを聞くと王は彼にひれ伏して拝し、献げ物を彼に献げるように命じました。王はダニエルを神として崇拝したのではありません。彼を神の代理人として見、彼の内に神の存在を感じたから、彼にひれ伏し、彼を拝することで、彼の神を礼拝したのです。そして彼に「あなたがこの秘密を明らかにすることができたからには、あなたがたの神こそ、神々の中の神、王たちの主」と言います。王は「神」と言いますが、天と地を創造し、この世界の全てを創造した神ではありません。王が信じる神々は、その神を信じる者にとっては、確かにいる力ある存在なのです。しかし、日本の人々の多くが信じる八百万の神々の中の神と同じで力のない偶像に過ぎなかったのです。 私達もアテネの町でパウロが見たように、偶像が多く飾ってあり、それらを神と仰ぐ人々の中で生きています。私達はダニエルらのように、第二次世界大戦中の朝鮮の人々のように、捕らわれてこの日本に連れて来られたのではありません。でも私達はこの地で真の神を信じ礼拝しています。神にクリスチャン人口1%の国の民として生まれさせられ、生かされているからです。 聖書は、私達の神は世界の国々とその民を支配し、全ては御手の内にあり、御心を行う為に、人類の歴史を導き、この世に神の国を実現する為に、イスラエルを選び、そして今、私達を選び、この地に生きる者としていると教えます。この書が教えるように、御心を知る真の知恵は神が与えます。彼のように謙遜に神に憐れみを乞いつつ、御心を知り御心を行う者になりましょう。 |