| メッセージ(大谷孝志師) |
| 神を父と呼ぶ幸い |
| 向島キリスト教会 礼拝説教 2024年12月1日 ガラテヤ 4:1-7 「神を父と呼ぶ幸い」 大谷孝志師 |
先週礼拝後、皆なでクリスマスツリーなどの飾りつけをしました。今日から主イエスの御降誕を祝うクリスマス迄の準備の時、アドベント、待降節に入ります。今年は22日にクリスマス礼拝と祝会を行い、24日にクリスマスイブ礼拝を行います。その前の7日にはクリスマスチャペルコンサ-ト。8日は毎年行っている街角クリスマスキャロルを行います。3日には、有志が参加し、尾道刑務支所有井作業所クリスマス会が行われます。キリスト教では復活祭、ペンテコステ、クリスマスと年に三回大切な礼拝を守ります。その中でもクリスマスは様々な集会をして、イエス・キリストの降誕をお祝いします。私達だけではありません。世界中で主イエスの御降誕をお祝いします。何故でしょうか。昔、お寺の保育園でもクリスマス会をしますと聞いて驚いたことがあります。私の柏教会時代の牧師、沼尻先生がアドベントの説教の中で使うジョークの一つが「ある人に『教会でもクリスマスをするんですね』と言われた」でした。この時期、日本がキリスト教国であるかのようにクリスマスツリーが輝き、至る所で讃美歌が流れます。それは商戦が利用しているだけでなく、キリスト教界が、主イエスの御降誕を大切にしてきた歴史の結果でもあると思います。 主イエスの御降誕は何故そんなに大切なのでしょう。4:4,5に、御子である主イエスがこの世に生まれたのは、私達が神の「子」としての身分を受けるためでしたと書かれています。主イエスは神の御子ですが、私達も神から子としての身分を受けているとパウロは言います。神と人とは異質で、絶対的に違います。神は全知全能、永遠であり、私達は一寸先の事も、相手の心の内も分かりません。この世では数十年の命でしかありません。しかし主イエスは、この世界を創造し、支配している神が、イスラエルだけでなく、全ての人の天の父ですと教えたのです。ですから私達は、神に祈る時、「天にいます我らの父よ」と呼び掛けられるのです。イスラエルの人々は自分達は神に選ばれた特別な民と信じていました。ですから旧約聖書を読むと、アブラハムを始め人々は神に直接呼び掛けています。でも、「神よ」「主よ」と呼び掛けても「父よ」とは呼び掛けません。主イエスだけが神に「父よ」と呼び掛けています。福音書に、主がバプテスマを受けた時、「水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のように御自分に降って来るのを御覧になった。すると天から声がした『あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ(マルコ1:10,11)」とあるように、主イエスは神の御子だからです。ヨハネ1章にも「ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはその栄光を見た。父のみもとから来られたひとりり子としての栄光である。この方は恵みとまこととに満ちておられた」と有ります。 主は、ご自分が神に「父よ」と呼び掛けるだけでなく、弟子達に「主の祈り」を教えた時、神に「天におられる私達の父よ」と呼び掛けて祈りなさい(マタイ6:9)と教えました。彼らにとっても、神は「父」なのですよと教えたのです。 神は人を神の子どもとする為に特別に「御自身のかたちに」創造しました。しかし罪を犯し、エデンの園を追放されました。神はイスラエルの人々を神の民に相応しくなるよう働き掛けましたが、それを拒み続けたのです。そして、欲望に負けて、相手を自分の思うままに扱ったり、殺したりしていました。しかし彼らが罪の奴隷となっても、神には特別な民なのです。ですから神は、モーセを遣わして律法を与え、多くの預言者を遣わし、彼らが神に喜ばれる民となり、神の祝福を受けるに相応しい神の子どもとなるよう働き掛けました。でも彼らは神がそう願っても、自分達の知恵と力に頼り、御心に背き続けたのです。そこで神は、恵みによって全ての人を神の子どもとする計画を立てました。 神は、愛する御子イエスを世に遣わしたのです。世に遣わされた御子であるイエスが、ご自身の十字架の死と復活によって、律法を守ることによってではなく、ただ、ご自分を信じる信仰によって、人が神の子どもとなれる道を開いたのです。その事をヨハネは「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった(ヨハネ1:12)」と教えています。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます(使徒16:31)」とパウロが言ったように、主イエスを信じる人は救われ、神を父と呼べる神の子どもとなり、神の恵みと祝福を豊かに頂けるのです。 さて、主イエスはゲッセマネの園で「アバ、父よ」と神に呼び掛けました。これはユダヤ人の幼い子が「お父ちゃん」と呼び掛ける言葉なのです。主を信じる人は、「神の霊に導かれている人々はみな、神の子ども(ローマ8:14)」とパウロが言うように、「子とする御霊を受けた」ので、「この御霊によって、私達は「アバ、父(お父さん)」と呼び掛けて良いのです(8:15)。ですから、主の祈りにおいても、普段の祈りにおいても、私達は神に「お父さん」と呼び掛けているのです。ですからこの事を感謝して、私達神の子ども達の長子として世に生まれた神の御子である主イエス・キリストの降誕をお祝いするのです。 しかし私達の天の「お父さん」は、優しいだけではありません。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」とヘブル12:5、6に記されています。私達主イエスを信じる者は、この世に生きる中で様々な試練を与えられています。それは神が私達をわが子として扱っているからと聖書は教えます。「父が訓練しない子がいるでしょうか」とあるよう。試練は天の父が私達が世に神の子どもとして生きる為に与える訓練の時です。だからこそ「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に遭わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに、脱出の道も備えていてくださいます(Ⅰコリント10:13)」。試練は「恵みの時」なのです。 神は私達の「天のお父さん」です。ですから、神はこの世に生きる私達を愛し、危険から守り、生活上必要なものを与え、育てていて下さっているのです。例えば食前に、食べ物を与え、養って下さっている天の父に感謝しています。しかし神は天にいて私達の目には見えません。声も聞こえません。それだけに、うっかりすると口先だけの祈りに終わってしまうことがあります。ですから、神様、私はあなたの子ども達の一人です、と呼び掛けるようにしましょう。そうすると、私達の祈りが、神への思いが少しずつ変わってきます。神の私達への思いを片思いにしていてはもったいです。神は、「アバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を私達の心に与えているのです。私達がどう思うとも、ルカ15章の放蕩息子の父のように、神は私達が「お父さん」と呼び掛けて、全面的に頼って来るのを待ち構えているのです。彼の兄の言葉で言えば、父が、「遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると」我が子として迎え入れたように、神は私達を喜び迎え入れてくれます。この世で、自分の思いのまま生きた息子は疲れ果てて、父の許に帰ろうと思い、帰りました。私達も世での生活に疲れたら、「お父さん」と呼び掛けて天の父の前に出れば良いのです。私達は神の子どもの一人だからです。その為に神の独り子が主イエス・キリストとして世に来て、十字架に掛かって死に、復活して私達と共にいるのです。クリスマス、私達は神を「お父さん」と呼べるのだと改めて心に刻みましょう。そして今日から始まっているこのアドベントの時、私達を神の子とし、神の恵みと祝福の相続人とする為に、御子をこの世に遣わした神に感謝しましょう。その御子イエスによって神を、「天のお父さん」と呼べる幸いを感謝しつつ、主の御降誕を祝う様々な教会の集会、礼拝で、クリスマスの喜びを人々に伝えましょう。 |