| メッセージ(大谷孝志師) |
| 私たちの主を信頼しよう |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年12月4日 詩篇 86:1-11 「私たちの主を信頼しよう」 牧師 大谷 孝志 |
私達は、目に見えないけれど主が共にいると信じるから礼拝しています。詩86編は「ダビデの祈り」と表題が付けられています。彼はイスラエルの2代目の王であり、ソロモン王の父です。彼は初代サウロ王の家来でした。彼は優れた戦士でもあったのですが、その能力と主の加護の故にサウロに嫉妬され、殺そうとする王に追撃されたこともあります。更には周囲の他民族との抗争が避けられず、強敵との戦いで度々窮地に立たされました。 今朝の彼の祈りを読むと、彼が信仰が篤く、神に全てを委ねて生きていることが分かります。しかし、彼も完全無欠な人間ではありません。彼は、部下ウリヤの妻であるバト・シェバが好きになり、妊娠させました。それだけでなく、それを誤魔化そうとしたのですが、ウリヤが非常に実直だった為、出来ず、彼の上官に、彼を最も危険な最前線に出し、彼を残して撤退し、戦死させろと命じ、彼を抹殺するという卑怯な人間だったのです。その事を預言者ナタンに指摘され、悔い改めた時の言葉が詩51にあります。彼は人として最低な事をしました。しかし、神は彼の罪の告白と悔い改め、罪からのきよめて新生させて下さいとの祈りを含め、彼の全てを受け入れ、イスラエルの王として支え、その働きを全うさせました。私達の救い主はその子孫として、彼の死後約千年後にユダヤのベツレヘムで生まれました。 この詩編を通して、神が何故御子である主イエスをこの世に誕生させたのかを学びます。この詩の後半を見ますと、彼は「横暴な者の群れ」恐らく悪の誘惑に曝され、苦境に立たされています。そのような状況の中で、彼は1節で「主よ、耳を傾け、私に答えてください」と祈ります。私達も世に生きていると様々な誘惑に曝され、苦境に立たされることがあります。その時は、先ずこう祈れと聖書は教えています。想定外の事に直面した時、私達は「主は何でこんな事をするのか」「主なのにこんな事も出来ないのか」「主は何故祈りに応えないのか」と思うことはないでしょうか。主が何もしてくれない、という不満が先立つからです。ダビデは「私は貧しい者です」と言います。王ですから経済的貧しさではありません。自分が無力で洞察力、知恵の足らず、自分の小ささ、醜さを知るからです。私達も彼のように自分を厳しく見詰め直すことが大切なのです。そして自分が神に喜ばれる者として世に生きられるように「私のたましいをお守りください」と願いましょう。人にとって大切なのは「たましいの平安だから」です。 創世記2章に、神は「大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きる者となった」とあります。人だけが神の一部である命の息を吹き込まれ、神と霊的関係を持つ「たましい」を持つ者となったのです。神は人の為に相応しい助け手として女を造り上げ、二人は造られたままの姿で、エデンの園で全ての被造物と共に生きていました。 しかし二人は罪を犯し楽園を追放され、その後全ての人の魂は苦しみ喘ぐことになりました。パウロがローマ5:17で「一人の違反によって、死が支配するようになった」と言うように、神との関係が断たれているのです。 しかし、アダムとエバにより罪が人に入り、全ての人が罪人と相手して生きるようになったのと同じように、この世に生まれた一人の人、主イエス・キリストの十字架の死によって、全ての人が義とされ、永遠に神と共に生きる道が開かれたのです。6節に「主よ、私の祈りに耳を傾け、私の願いの声に心に留めてください」と願います。私達も今、主に寄り頼み、憐れみを求めるなら、神は答えて下さるのです。彼のように、満たされないものを感じたなら、神を呼び求めれば良いのです。魂の喜びを求め、神に憐れみを求め続けましょう。主が私達と共にいて聞いて下さっています。 魂が喜びを感じる、素晴らしい事です。エマオ途上の弟子達のように、心に燃えるものを感じられるからです。ダビデは「このしもべのたましいを喜ばせてください」と言います。永遠に変わることのない神の愛を感じる時、私達の魂は喜びに満ちるからです。私達にも、神は魂に喜びを与える恵み深い方、赦す方、呼び求める者に豊かな慈しみを与える方なのです。 とは言え、この世に生きていると嘆き悲しむ時も、苦難に襲われる時もあります。ですから彼のように「あなたは私の神、私は「あなたに信頼します。主よ、私をあわれんでください」と主に呼び掛ければよいのです。 ダビデはそれ迄の経験から、主が必ず答えてくれると信じています。私達も、主に助けを求めた時、主が答えて現状を変えたり、助け手を与えたりした経験がある筈です。主を信じない人は「偶然だよ」と言うでしょう。しかし私達は主が助けたと信じています。偶然だと思っていたら、私達の人生は変わりません。主が私を愛し、私に必要なことをしたと信じるから、私達の魂は喜びに溢れ、将来に希望を持ち、他人を信じることが出来まぅ。 確かに世の中には様々な宗教があり、色々な神を信じる人々がいます。聖書は、私達が信じる神はそのような神々とは違うと教えています。ダビデも「主よ、神々のうちであなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比べられるものはありません」と言います。私達も自分が信じる神が偉大な神、ただ一人神と心に刻み込んでいましょう。。彼は安心して神に頼っています。私達も神が自分と共にいると知り、安心して神に呼び掛けていましょう。 マタイ13:31-33に、主の二つの譬え話があります。極微細な芥子種も畑に蒔けば、どんな野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作る程の木になり、パン種も粉に混ぜれば、全体をふくらませるとしゅイエスは教えました。主は、人々が来て休み憩う場となる為に、人々の心を豊かに、大きく広くするする為に教会を立てたのです。主は私達を用いて、教会を大きく成長させ、人々の心を柔らかく豊かにする「奇すしい御業を」行おうとしているのです。主に全てを委ねて、私達の働きを続けていきましょう。 |