| メッセージ(大谷孝志師) |
| 救い主が共にいるのに |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年12月11日 マルコ 4:35-41 「救い主が共にいるのに」 牧師 大谷 孝志 |
人生はよく航海に例えられます。昔の帆船による航海は安全も目的に着くかどうかは、波任せ、風任せでした。航海と運命に任せるしか無い人生に共通点を見ていたからと考えられます。陸上とは違い、海では風が止まっても、激しい嵐に襲われても、それに身を任せるしか無かったからです。 主イエスが「向こう岸へわたろう」と言った湖はガリラヤ湖です。エルサレムがあるユダヤからはサマリアを挟んで遙か北にある湖で南北20q、東西が12qで日本で二番目に大きい霞ヶ浦よりも少し小さな湖です。地中海面から200b低く、北、東、南西と山に囲まれ、気温の変化により、山から突風が吹き降ろす事があり、晴れていた日の夕方は特に激しい突風が起きやすかったそうです。弟子達の中のペテロ達四人はその湖の漁師です。彼らは何故危険を承知で船を漕ぎ出したのでしょうか。彼らが主の弟子となった時、夜通し働いても魚一匹も取れず、疲れ切っていました。しかし、主がその彼らに、漁をする時間では無い昼間に、 漁場ではない湖の深みに漕ぎ出して網を下ろして魚を取りなさい」と言い、その通りにすると網が破れそうになるほど、魚が取れたのです。今日の個所でも主イエスに向こう岸へ渡ろう」と言われたから、み言葉に従って舟を漕ぎ出したのです。 私達も人生の転機を、進学、就職、結婚、転居等で経験します。この学校、会社、相手、地域なら将来安心という希望を持って船出しても、不安や恐れは拭いきれないのではないでしょうか。弟子達は一番安心できる方である主と一緒だからと安心していたでしょう。しかし、激しい突風が起こり、波が舟の中にまで入り、一瞬にして不安が的中してしまいました。クリスチャンになれば順風満帆の生活が出来ると思ったら大間違いと、自分や他人の経験から何度も知らされています。愛する者の重病の苦しみや死も経験しました。信頼した人に裏切られ、捨てられることもありました。クリスチャンや牧師夫妻の激しい喧嘩も見聞きしました。主を信じていても、世の人と同じ危険に曝されながら生きているのに変わりはないのです。 とは言え、主イエスを信じると平安な人生を過ごせることも事実です。これも自分や他人の経験を通してはっきり言えます。勿論、悩みや苦しみが無くなる訳ではないです。その受け取り方、考え方が違ってくるのです。 主は彼らに「向こう岸へ渡ろう」と言っただけです。安全だから大丈夫と言ってはいません。そして御自身は、荒れ狂う波と風に揉まれる舟の中で平然と眠っています。弟子達は何でと思ったでしょう。死ぬかもしれない恐怖を感じた彼らは、主イエスを「先生、私たちが死んでもかなわないのですか」と非難するような言い方で起こしたのです。私は聖書がここで、主が眠っていることで、この後の事、今起きている事についての彼らの受け取り方が間違っているという大切な事を教えていると気付いたのです。 主が共にいるのに、自分達はどうしてこんなに苦しまなければならないのか、主は何故祈り求めに答えて下さらないのかと感じ、挫折しそうになる時が有ります。しかしそれは主が与えた試練であり、訓練の時なのです。主は弟子達の姿を通して私達に自分の信仰について顧みさせているのです。Tコリント10:13に「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさいません。むしろ、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」とあります。どのような困難、苦難の中にあっても、私達は共にいる主が万物の支配者、救い主と信じていれば良いのです。 以前、池田バプテスト教会の牧師をしていた時、青年会で淡路島に海水浴に行った時のことです。ふと気付くと、満ち潮で全員が足が付かない所まで流されていたのです。慌てました。溺れてしまうと思ったからです。しかし、周囲を見た時、一本の細いロープがあるのに気付きました。正に命綱があったのです。皆でそれに掴まり、励まし合いながら、無事に砂浜に着きました。瀬戸内海の干満の激しさを体験させられると共に、主が共にいて、そのロープのように私達を護っていて下さると知らされました。 舟が水で一杯になり、このままでは死ぬかと弟子達は思いました。しかし、「向こう岸へ渡ろう」と言った主が共にいるのです。その主を信じ、向こう岸に着けるのだから死ぬことは無い、と信じれば良かったのです。しかし、主が眠っているから大丈夫と思うのでは無く、主が何もしてくれないから危険だと思ったのです。これ迄に弟子達は、中風の人を担いできた四人が部屋が一杯だったので、屋根を剥がして寝床ごと病人を吊り降ろした人々の信仰を主が見て、病人の罪を赦し、その病も癒したのを見ています。また、安息日に片手の萎えた人を癒したのも見ています。しかしその主が自分達が危機状況の中にいるのに、寝たままなのに我慢できなかったのです。祈っても祈っても主が答えず、変わらない現状に失望し、私達がどうなっても構わないのですかと呟く時の私達に似ています。彼らは確かに、主が起きれば自分達の状況が変わるからと思い、主を起こしました。でもそれは自分達の思いを主にぶつけただけで、主を信じ、全てを委ねてはいないのです。弟子達に起こされた主が、風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言うと風は止み、すっかり凪ぎになりました。主が自分がどんな方かを示したのです。そして、「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか」と彼らの不信仰を指摘します。主が共にいるのだから、どんな状況においても安心していれば良いとの信仰がない自分達に気付かせる為に、主は激しい突風が起きる時間に舟を漕ぎ出させたのです。彼らは恐怖に陥りました。しかしそれは主が弟子達に与えた試練でした。自分達と共にいる主は、風や湖も支配する畏るべき方で、共にいる主を信じるなら、何も怖がることはないと彼らが知る為の恵みの時だったのです。私達も自分の不信仰に気付き、どんな状況でも主を信じ、全てを主に委ねましょう。 |