| メッセージ(大谷孝志師) |
| クリスマスは証しの好機 |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2024年12月18日 ヨハネ1:6ー8「クリスマスは証しの好機」牧師 大谷 孝志 |
クリスマスの時期になると町には讃美歌が流れます。クリスマスプレゼントやイルミネーションの販売等、商店街にとって商売の好機だからです。クリスマスは、私達にとっても証しの好機なのです。様々な集会、礼拝に知人、友人を教会に誘い、キリスト教の素晴らしさを知って戴きましょう。 とは言え、讃美歌やクリスマスキャロルには良さを感じていても、多くの世の人々がキリスト教は外国の宗教と思い、違和感を感じているのも事実です。問題はその人々がどうしたら、イエス・キリストの誕生が自分の為だと知り、お祝いできるようになるかということです。或る人の誕生を祝うのは、その人が自分にとって大切な存在、親しい存在だからです。私達も主イエスが自分にとって大切で掛け替えのない方なので、クリスマスに主の誕生をお祝いしています。でもなぜそう思ったのでしょう、それは、教会の人々から、主イエスが私を大切な存在として愛し、私が主の親しい友となるのを願っていると知らされたからです。その主は今も、世の人々がご自分を大切にし、親しい友達になれるようになることを願っています。 しかし「親の心、子知らず」という言葉がありますが、天の父である神の思いを殆ど知らないまま、世の人々は日々を過ごしているのです。親が子を生み育てているように、神は私達だけでなく、全ての人に命を与えて世に誕生させ、守り育てています。神は全ての人の生みの親なのです。よく「自分一人で大きくなったような顔をして」と親に言われる子がいますが、神から見るとそのような人々がこの世には満ちているのです。私達キリスト者もうっかりするとそんな顔をしている時が有ります。自分自身を真剣に顧み、自分の真の姿を知ることはとても大切ではないでしょうか。 ですから、神は御子を全ての人を照らす真の光、主イエス・キリストとして世に遣わしたのです。しかし普通の人にしか見えない主イエスを「父のみ許から来られた神のひとり子であり、恵みとまことに満ちた方であることを明らかにする必要があり、ヨハネを証者として神が遣わしました。人々には世に来た主がどんな方か分からないからです。「光について証しするため」を二回記して強調したのは、「証し」には、主が神の御子であるという世の人には理解できない真実を知らせる意味があると強調する為です。 5節に「光は闇の中に輝いている。闇はこれに勝たなかった」と有るのに、何故証しする人が必要なのかと思うかもしれません。しかしこの「勝つ」は、把握、理解するという意味も持つからです。理科的現象ではなく、この世において主が世の光として輝いているのに、世の人々がそれを把握、理解できないでいるのが現実なのです。ですから、主イエスが全ての人を照らす真の光と証して理解させる証者が必要なので、神が御子イエスを遣わす前に、その証人としての(バプテスマの)ヨハネを世に遣わしたのです。 ここで大切なのは(記者)ヨハネが「光は闇の中に輝いている」ことを、教会の中に起きている出来事、事実として私達に伝え、それを宣言していることとして読むことです。この事は聖書を読む時に大切です。聖書、特に福音書には、主イエスに非難されたユダヤ人やパリサイ人、注意され、叱られた弟子達が書かれています。しかし、彼らだけが悪いのではなく、私達自身も同じだとの思いで聖書を読むことによって、そこに示されているメッセージを正しく聞き取れるからです。私も同じような者と気付き、悔い改めることが必要なのです。主イエスがこの教会の中、そして救われた私達の心の中に真の光として輝いています。ですから、私達の心を支配している闇、悪の力がこの光に勝てないのです。ですから、私達はキリスト者として世に生きていられます。しかしそれに気付けないから、聖書は証者ヨハネの存在と必要性を強調し、私達の現実を鋭く指摘しています。 この光は肉眼で見る光とは違います。「信仰、希望、愛」のようなもので、それらが自分の内に有ると心が明るくなります。しかし、私達が相手の心を照らして、相手の心を明るくするのではありません。ヨハネも「光について証し」しただけです。彼が光として人々の心を照らしたと考えた人達がいましたが、照らしたのは「まことの光」である主イエス自身なのです。 私達が救われ、教会の一員として世に生きているのは、世の人々に証しする使命を与えられているからです。教会はキリストの体、神の国です。でも、教会に来た友人や新しい人に「ここが神の国です」と言っても、その人々には普通の人間の集まりにしか見えません。「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」と主が言うように、私達がその光に照らされている自分を自覚し、主イエス・キリストが真の光として世を照らしていると証しするならば、世の人も光が闇の中に輝いていると気付くことができます。 クリスマスだから教会に行ってみようかなと思っている人が、少なからず私達の周囲にいると思います。クリスマスは、教会に行くことに抵抗を感じている人々が、比較的小さな抵抗で集会や礼拝に行こうと思える良い機会なのです。誘ってみましょう。行ってみようと言う人、実際に来てくれる人がいるかもしれません。誘ってみなければその気持ちは起きません。ですが、行くと返事してくれただけ、或いは来てくれただけで安心せずに、私達が主イエスが光と証しすることで、闇の中に輝いている光の素晴らしさ、主イエス・キリストを信じて生きる素晴らしさを、人々に伝えましょう。その使命を主が私達に与えています。クリスマスは、世の人々が自分の心が光に照らされていると知り、いつも喜び、絶えず祈り、全ての事に感謝でき、前を向いて希望を持って生き、自分を大切にし、その自分のように他の人を大切にできる全く新しい世界があると知る良い機会なのです。 22日のクリスマス礼拝と祝会は伝道の好機、私達に使命として与えられた時です。世の人々に主イエスがあなたを照らす真の光と証ししましょう。 |