| メッセージ(大谷孝志師) |
| 飼い葉桶の中の救い主 |
| 向島キリスト教会 礼拝説教 2024年12月24日 ルカ2:1-7 「飼い葉桶の中の救い主」 大谷孝志師 |
クリスマスは全世界で年末の行事になっています。主イエスが生まれたのは、マタイとルカが共にユダヤの王ヘロデの時代と記しています。ルカによるとローマ皇帝アウグストゥスが、シリア州総督キリニウスに最初の住民登録を命じたとあります。この事から紀元前6年頃にイエスは生まれたと考えられます。皇帝アウグストゥスの時代に生まれたことにも意味があります。彼はローマの初代皇帝で、世界に平和をもたらした救い主と呼ばれました。聖書はこの名を記すことで、イエスこそが世界に真の平和をもたらす救い主だと暗示しています。しかし、イエスが生まれたのが12月25日とは書かれていません。初代の教会の人々は、イエスが復活したイースターの日と聖霊が弟子達に降臨したペンテコステの日が大切でした。生まれたばかりの教会、様々な迫害に直面する教会の人々にとって、イエスの十字架の死と復活、聖霊の守りと導きが、自分達の信仰生活を続ける上で重要で、いつ生まれたかは二の次だったからと思われます。しかし教会が世界各地に生まれ、落ち着いた信仰生活が守れるようになると、主イエスの誕生日を祝いたいとの思いが強くなり、3世紀の初めにアレクサンドリアのクレメンスが5月20日と推測しました。ルカ2:8に、ベツレヘムで「羊飼いたちが野宿しながら、羊の群れの夜番をしていた」とあるので、この地方で夜番ができる、初夏と考えられたからです。しかし、キリスト教がローマに深く浸透した4世紀末のローマの暦に「12月25日に、キリストはユダヤのベツレヘムで生まれた」と書かれています。北半球のローマで冬至後に行われていた「太陽の誕生祭」に対抗して、「義の太陽」の出現を祝ってこの日にイエス・キリストの誕生が祝われるようになり、今では多くの国で12月25日がクリスマス、「キリストを礼拝する日」となっています。 さて「彼らがベツレヘムにいる内に、マリアは月が満ちて」イエスは生まれました。「月が満ちて」は原語で「日々が満たされて」の意味です。ですから、「日々が」で町に着いてから何日か経ってから、「満たされて」で全ての人をご自分の民とする神の計画が実行に移される時が来て主イエスが生まれたことを示します。「初めての子」の原語は「初めての子である彼女の子」です。浸礼者ヨハネの場合は「彼女の子」だけで、イエスと彼の違いは明白です。ユダヤでは「初めての子」は「長子の権を持つ子」「神に聖別された子」の意味を持ち、主イエスが特別な子として、神が定めていたこの日に生まれたと教えています。 「イエスは飼い葉桶に寝かされていました。新しい藁が敷かれ、地上1.5㍍程の高さで、家畜に踏まれる心配のない飼い葉桶は、当時の貧しい庶民の新生児には比較的安全な寝床でした。救い主ならもっと良い寝床が相応しいと思うかも知れません。しかし「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから」なのです。主イエスの誕生の意味がこの飼い葉桶に寝かされていることで現しているのです。飼馬桶が最も相応しい場所だったからです。その一つの理由が「人々の心が世の常識で一杯で、イエスを迎え入れる余地が心になかった」からです。もう一つの理由は、主イエスの誕生を「降誕」というように、「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を低くして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました」とピリピ2:6,7に有るように、私達が生きているこの世に降りて来て、どんな状況、状態の中にいる人でも、主イエスは自分がいる所に一緒にいて、慰め励まし、勇気を与える方であると知らせる為です。聖書はどんな人でもイエスを救い主として心に受け入れることが先ず必要なのです。そうすると、主イエスが自分と一緒にいると分かります。その人は「知恵と悟りの霊、思慮と力の霊 主を恐れる知識の霊」という主の霊(イザヤ11:2)」に満たされて生きられますと教えています。その事を知らせる為に、主イエスは布にくるまって飼葉桶に寝かされていたのです。 |