| メッセージ(大谷孝志師) |
| 主の期待に応える一年に |
| 向島キリスト教会 元旦礼拝説教 2025年1月1日 マタイ25:14-30 「主の期待に応える一年に」 牧師 大谷 孝志 |
<宝の持ち腐れ>という言葉があります。折角、自分が良いものを持っていても、それを使わないでいると、何の役に立たないばかりか、それがあることにむしろ負担や害にさえなってしまうことを「宝の持ち腐れ」と表している言葉です。 今日の譬え話は、主イエスの天の御国についての譬え話です、主人が一人には五タラント、一人には二タラント、もう一人には一タラントを預けて旅に出ました。初めの二人は、それぞれ商売をし、預かったのと同じ額を儲けました。商売は元手がなければ商売は出来ません。「商売は水物」とも言われるように、儲かる儲からないは運次第で、リスクを伴います。二人はリスクを承知の上で<虎穴に入らずんば虎児を得ず>の心境で働いたのです。しかし一タラントを預かった人は<君子危うきに近寄らず>の思いになり、宝の持ち腐れにしてしまったのです。一タラントは、一年三百日で20年働いた賃金に相当します。普通の人には一生掛かっても蓄えられない額です。前の二人は帰ってきた主人に褒められ多くのものを任されることになります。しかし一タラントを地の中に隠しておいた彼は、主人にそれを取り上げられ、主人はそれを十タラントを持つ人に与えます。他の二人は、一人が十タラントを持っていると有るので、他も四タラントを与えられたと思われます。 これは天の御国の譬え話です。しかし天の御国の素晴らしさを教えた話ではありません。主は自分と一緒にいるなら、その人は今天の御国にいると教えました。私達は礼拝堂で主を礼拝しています。主がここに共にいるからです。私達は何故ここに来て礼拝しているのでしょう。それはつい忘れてしまう私達が、主が共にいることを普段の生活の場でも忘れないようにする為なのです。主が共にいると信じられることはことは素晴らしいことです。恵みと平安を豊かに与えられていると実感できるからです。でも礼拝の恵みはそれで全てではありません。この世の生活の中でも、主に賜物を与えられ、御業を行えるから素晴らしいのです。主には私達の働きが必要なのです。私達の周りには滅びに向かっているのにその事を知らない人々がいるからです。主がその人々が救われるよう望んでいるのです。 この譬え話の主人が僕達に自分の財産を預けたように、世の人々の救いの為に主は知恵と力を預けています。主人がしもべたちに、それぞれの能力に応じてその額を決めたように、主は私達の能力を知り、それに応じたものを預けているのです。ですから周りの兄妹と自分を比べる必要は全くありません。自分に出来る事をすれば良いのです。私達も二人の僕達のように自分の働きに相応しい豊かな実を結べます。一人一人が持つ能力、使える時間は人によって違います。実るまでの時間も異なります。しかし主は個人の違いを問題にしません。五タラントの人もニタラントの人も同じ言葉で褒めています。大切な事は、自分が主と共に、主が支配する世界にいると信じ、その主に忠実に生きていることです。 ですから、一タラントを預けられた人のように、臆病になり、失敗を恐れ、叱責を恐れ、賜物を使わずに、しまったままにしていてはいけないのです。そのしもべにも一タラントという巨額なものを預けたように、主は私達に期待し、素晴らしい賜物をしかもその能力に応じて預けているのです。確かに自分を見るとその賜物を生かし、主の証人として、主が喜ぶ実りを得るのは難しいと思ってしまいます。しかしこの譬え話が世の終わりの教えの中にあることに意味があります。主は何の為に十字架に掛かって死に、復活して私達と共にいるのかを考えましょう。だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを主が望んでいるのです(Uペテロ3:9b)。私達はその主を信じ、その主と共にいるのです。主が私達の働きを望み、期待しているのです。私達は主に、一人一人に相応しい知恵と力を与えられているのです。主の望みを実現する為の働き人が必要なのです。私達は今教会に連なっているのは、主の恵みと平安を豊かに頂いて、主の知恵と力という賜物を預けられて、世に遣わされていると、この年の初めに改めて心に刻み直しましょう。私達はどこにいても、そこは主イエス・キリストが支配する世界であり。主が共にいる世界なのです。主に預けられたタラント、賜物を隠し、持ち腐れさせずに、それを生かして用いて、一人一人が豊かな実りを体験する一年にしましょう。その為に私達はここにいるのですから。 |