| メッセージ(大谷孝志師) |
| 主の計画に従う群れに |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2025年1月22日 詩篇 33:1-22 「主の計画に従う群れに」 牧師 大谷 孝志 |
| 私達に聖書が与えられているのは何故でしょうか。それは主イエス・キリストがどのような方であるのか、そして私達はどのような存在であるのかを知らせる為です。言葉を換えて言うなら、聖書は信仰とは何か、福音とは何か、人としての正しい生き方とは何かを教えている書物なのです。 私達はそれを知ることによって、安心してこの世に生きられます。ですから、私達は聖書を大切にしています。この33篇は詩篇3-41篇までのダビデ集の中にあり、表題は付いていませんがダビデの作と考えられています。 33篇の新改訳2017では「計画」という言葉が二回使われていますが、原文では「考え」を意味する語で、「はかりごと」「はかられること」に「計画」が使われています。その理由は、人は何かを行おうとする時、先ず色々な要素、条件を考え、それに合うように計画を立てているからだと思います。 ダビデは「主は正義と公正を愛される。主の恵みは地で満ちている。主の言葉によって、天は造られた。天の万象もすべて、御口の息によって」と言います。この世界に起きる全ての事は御心によるのだと彼は教えます。ですから私達がすべき事は、あれこれと考えを巡らして計画を立てることではなく、主の御前におののくこと、御前にひれ伏し、全ての事を御心として受け入れることだと彼は教えるのです。私達の教会は私の引退辞任により、後任牧師の候補選定の計画を立て、一人と交渉しましたが、断られました。10節に「主は、国々のはかりごとを破り、もろもろの民の計画をくじかれる」と有ります。「国々」は「異邦人達」で、主を自分達の神としない人々のことです。私達も異邦人で諸々の民ですが、主イエスを信じ、救われ、神の民の群れです。しかし私達が神の教会で、それが御心と信じて計画を立て、招聘委員会がそれを行いましたが、その計画が破られ、私達の願いが挫(くじ)かれました。残念ながら、御旨でなかったからです。 教会として来年度の計画を立てて行きますが、その為にこの聖書箇所を学ぶことを主が示されたと信じ、共に学んで行きます。以前礼拝でヨブ記を学びました。ヨブの生き方、信仰を学ぶことは私達の来年度の計画を立てる為の助けの一つとなると思い、先ずヨブについて学びたいと思います。 ヨブは真摯に神に仕え、自分が正しいと思う事を、神に喜ばれると信じて行いました。神が彼の子供達と全財産を取り去り、自分の体を痛めつけられ、妻に「神を呪って死になさい」と言われても、私達は幸いを神から受けるのだから、災いも受けるべきではないかと言います。彼に与えられた悲惨さは、彼を訪れた三人の友が七日七夜、声も掛けられなかったことからも分かります。しかし彼に「あなたが正しいのなら、神は何故災いを与えたのか。知らずに罪を犯したからではないか。悔い改めて神に立ち帰りなさい。そうすれば、神は赦し、平安を与える」と悔い改めを迫ります。 友人達の言葉は教理的には正しかったでしょう。しかし、ヨブの心に届かず、彼の心を動かせませんでした。彼は神に、自分があらゆる善行を積んで来たにも拘わらず災いを与えた。神がこの無力な自分を苦しめた理由が分からないと、自分の正しさを主張し、いっそ殺してくれと神に言います。彼は自分が御前に無力であり、神が絶対的主権者と認めています。彼の言葉は信仰的に聞こえます。しかし、それを注意深く読んだ時に、その心の底に彼の自己中心的考えが潜んでいることに、私は気付かされました。 しかし神は、そのヨブに嵐の中から答え、それを聞いた彼は、自分が無知の故に神の計画を覆ってしまっていた愚かさに気付き、自分の罪を認め、悔い改めました。以前にも増して豊かな富を与えられ、長寿を保ち、死ぬまで満ち足りた生涯を送りました。神はこのヨブを通して私達に、自分中心の生き方から、神中心の生き方への転換を迫っています。ヨブ記の主題は「義人は何故苦しむのか」ではなく、「義人はいない。一人もいない。(ローマ3:10」と気付き、自分の正当性に拠り頼むことからの脱却にあるのです。 私達はこの教会の活動が停滞することなく、来年度も成長するよう願っています。その為に、こうしよう、こうありたいと願い、それを実現する為の段階を考え、教会の実情を踏まえて、相応しい計画を立てる必要があると考えます。しかし今日の御言葉は、私達はこれが正しいと信じて計画し、実行していると思うなと命じているのです。それではヨブと同じになるからです。私達はこれは正しいと思うから計画を立てます。何が正しいか判らないままでは、何の計画も立てられません。しかし今日の聖句が示しているのは、「自分の正しさに拠り頼むな」なのです。私達は、神が私達を愛し、必要なものの全てを知り、必要な事をさせて下さると信じれば良いのです。自分達にではなく、神に拠り頼むことです。神は私達の為に既に計画を立てていて下さっていると信じれば良いのです。13,14節にあるように、「主は、天から目を注ぎ、人の子らをすべてご覧になる」からです。 神はその時々に出来る事を懸命にすることを求めるのです。それだけではと不安を感じる必要はありません。16,17節のように、物事の成否は人数にも私達の能力にも拠らないからです。「主の眼は主を恐れる者に、主の恵みを待ち望む者に注がれる」からです。私達は主が立てた計画に従っていると考えていれば良いのです。今日の聖句は神への絶対的信頼が前提です。その信頼は、み言葉は正しく、御業は真実と確信し、主は正義と公正を愛し、主の恵みで地は満ちているとの信仰から生まれます。神を信頼し、神が私達の助け、盾と信じると、私達の口から自然と賛美と喜びの叫びが溢れ出ます。この聖句そのものが讃美で有り、私達の信仰告白です。その主が私達の神として、一人一人に目を注ぎ、私達の業を読み取っているとダビデは言います。その主が、主イエス・キリスト、私達の牧者として常に導いていると信じ、主の計画を信じ、主に従う者として歩み続けましょう。 |