| メッセージ(大谷孝志師) |
| 福音に仕える |
| 向島キリスト教会 礼拝説教 2025年2月2日 エペソ 3:1ー13 「福音に仕える」 大谷孝志 |
1873(明治6)年2月7日、ネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル両師夫妻が、日本伝道の為にアメリカ北部バプテスト伝道協会から派遣されて横浜に到着しました。この日を記念し、現在の日本バプテスト同盟の前身である日本バプテスト東部組合年会で2月第一主日をバプテスト・サンデー(バプテストデー)とする決議が為されました。そして翌1925(大正14)年2月1日にバプテスト・サンデーとして各教会が礼拝を守りました。それ以来、100年を迎えました。私達も今日「バプテスト・デー」として聖日礼拝を守っています。 両師夫妻が来日した日本のキリスト教はどうだったのでしょう。1868年に誕生した明治政府は、江戸幕府の切支丹厳禁政策を継承していました。江戸幕府は世界史に例を見ない程厳しくキリスト教を禁止し、隠れ切支丹の発見や棄教を徹底して行いました。しかし、幕末に二つの港が開かれると、居留地にいる外国人の信教の自由を認め、宣教師の来日を許し、横浜天主堂や大浦天主堂が建設されたのです。とは言え、日本人への宣教は認められず、発見された隠れ切支丹への迫害が行われまし。それが諸外国の反発を招いたので、明治政府はキリスト教禁令の高札を廃止しました。それが、両師が来日した直後の2月24日でした。両師は次の聖日、3月2日に現在の横浜バプテスト教会の前身である横浜第一バプテスト教会を設立しました。しかし、「キリスト教厳禁」を解いても、約25年間、明治政府はキリスト教を公認しませんでした。それでも多くの宣教師が来日し、宣教しています。欧米の教会はアジアの人々の救いの為に熱心に祈り、献金し、伝道の為の組織を作って宣教師を送り、その活動を支援していました。アジアの中の日本も異教徒の世界であり、日本人に救い主イエス・キリストの父なる神こそが真の神様と知らせ、一人でも多くの人々が主イエスを信じて救われることを願ったからです。当時の日本ではと言うと、福沢諭吉が「キリスト教国教論」を唱えていました。そして、未公認であっても上流階級の多くの人々が教会に来ていたのです。でも、地方ではキリスト教への反感が依然として根強くあり、その困難な状況の中で、異教徒の救いの為に来日した多くの宣教師が、働きを続けていたのです。 さて、パウロは3:1で「あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています」と言います。彼は6:20で「私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています」と言うように、投獄されています。しかし彼は、自分はローマの囚人ではなく、「キリスト・イエスの囚人」と言います。日本に来た宣教師の方々も、主イエスに、日本に行って異教の神々を信じる人々に福音を伝えよと命じられ、それに応えて、全てを投げ打って来た主の囚人なのです。彼らは自分の意思で、日本に行くことを決断して来ました。囚人には自由はありません。命じられた場所で、命じられた事をしなければなりません。自分の意のままにではなく、主の御心のままに生きたから「主の囚人」なのです。 この手紙を獄中で書いているように、パウロの伝道も困難を極めました。しかし彼は「あなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです」と言います。素晴らしいことです。彼は、自分が苦難を受けているのは、かつてはキリストから遠く離れ、この世にって望みもなく、神もない人々だった人々に主の囚人となって伝道したからだと知っています。異教徒だったエペソ教会の異邦人が救われて、教会の一員となり、神に喜ばれる生活をしているのです。彼の伝道が困難を極めたのは事実です。でも、彼にとっては苦労ではなく。逆に喜びなのです。それだけではありません。彼は自分が受けている苦難は、あなたがたの栄光です」と言います。彼が受けた苦難によって人々が真の光に照らされ、神を褒め称えているからです。伝道は苦労のし甲斐のある働きと私達も知りましょう。 来日した宣教師の伝道も大きな困難を伴っていました。しかし彼らも日本に住む人々がこのまま滅びの道を歩むままにしておけなかったのです。誰でも「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になる」と彼らも知っていたからです。その主の恵みを知り、自分達と同じように救われて欲しいと真剣に願ったからです。そして「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改め進むことを望んで(2ペトロ3:9)」いる主が、日本の人々の為に忍耐しているのです。その主の願いを知っているので、主が世を滅ぼす日が来る前に、一人でも多くの人に福音を伝えようと、困難に立ち向かったのです。そして主はこの日本でも多くの実を結ばせました。 パウロは異邦人に「あなたがたも主イエスを信じれば、神の民、キリストの体に連なれる」と福音を伝えました。彼は、それは主が私に恵みを賜り、この福音に仕える者として下さったからできたのですと言います。全ての人の救いを願う主は、福音を伝え、福音に仕える者、奉仕者を必要とするのです。皆さんも分かっていると思いますが、福音を伝えるのは口先だけのことではありません。福音を自分の生活の中で実践し、福音に相応しい生活をすることなのです。言い換えるなら、主イエスのように生活する私達の姿によって、福音が相手に伝わり、その人が、主イエスが自分にとってどんな方なのかを知り、主イエスを信じて生きる決心へと導かれるのです。 日本は最初のプロテスタント教会ができて約150年経つのに、キリスト者人口1%前後のままの異教社会です。バプテスト・デーのこの日、日本という異教社会に来て、私達と同じ日本社会に生きる人々の「救いの為に、苦難を顧みず福音を伝えた宣教師の働きを心に刻みましょう。「私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」とパウロは言います。自分の家族、友人知人に福音を伝えたくても、壁は高く大きいです。でもできないと思って諦めてはいけないのです。主は私達にも出来ると宣教師という良い手本を与えています。その方々は壁を乗り越えて伝道しました。私達も乗り越えられます。 |