メッセージ(大谷孝志師)
信仰の再出発の時
向島キリスト教会 礼拝説教 2025年3月2日
エペソ1:15ー23 「信仰の再出発の時」 大谷孝志

  2024年度も残り一ヶ月を切りました。私がこの教会に赴任して8年、皆さんも多くの恵みを戴いてきたのではと思います。来月から始まる2025年度も、主から戴く恵みを数えつつ一年を過ごせるようにと祈りつつ、御言葉を取り次がせて戴きます。

 新年礼拝の時にも引用しましたが、イザヤ43:18に、「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている」とありました。来年度も主は、新しいことを行う計画を既に立てていて、実行して下さると信じましょう。この教会を愛するこの教会の主であるイェス・キリストが良いものを与えて下さると信じ、来年度の事を色々と思い巡らし、考えを交わし合う中で、それが既に芽生えていると信じ、それが花咲き、実を結ぶ時を待ち望みつつ、新たな思いで歩み出しましょう。私はこの教会の牧師を引退しますが、当面は引退教師としてこの教会に籍を置き、主が託す務めを果たすことになります。

 この教会は4月から無牧師という状態で新年度を迎えることになります。今年度や昨年度までのことに心を留めるなと言われても、牧師がいる時はどういう風にしたかと考え、いない今は、それをどうしたら良いかと過去から為すべき事を引き出そうとしてしまうのが人間です。しかしパウロはⅡコリント4:16で「私達は落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」と言います。私達は日々主に新しく造られているのです。ですから新年度の私達は、今年度とは別の新しい私達として造られた者なのです。その事を知り、その意識を持って歩み出すようにと今日の御言葉は教えます。私達は主イエスを信じ、信仰告白をしてバプテスマを受け、新しい人として生きています。これを新生と呼びます。しかし私達はバプテスマを受けた時だけではなく、日々新しくされています。今日が常に新しい出発点なのです。過去の経験を思い出したり、他の教会がした過去の事を取り入れて、それを出発点とせず、今、自分達が置かれた状況の中で、自分達が何をどう選択することが正しいのかと御心を求めることが大切と知りましょう。

今日の聖句は、この教会が主の体なる教会のして、地の塩、世の光として主に喜ばれる働きをする群れとなる為には何が必要かを教えています。それは、私達が信じ、私達を造り、愛し、この世に生かしている神がどんな方かを知ることなのです。神は目に見えず、声も聞こえません。しかし、主イエスを信じ救われた者は、神の宮、聖霊が内に住む者とされています。神が共にいることを霊的に感じ取っているから。私達は礼拝しています。神との霊的出会いによって、私達は新しくされ、新しい人として物事を見極め、正しく対処する知恵と力の受け皿になっているのです。

 しかしその為に必要なことがあります。霊的に整えられることです。ですからパウロは、「神が神を深く知るための知恵と啓示の霊をあなたがたに与えて下さるように」「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なのであるかを、深く知ることができますように」と祈っています。

 パウロは読者に、私達を含めた全てのキリスト者にこれらのものを神が与えると言います。彼は私達に真理を告げています。私達はこの事を信じましょう。信じるなら、私達はその神を信じ、神が共に生きていると安心して、将来に向かって歩み出せます。信じれらるのは素晴らしいことです。私達が信じるなら、今無いものでも、将来手に入れることができると聖書が保証しているからです。ですから、私達は来年度の事について安心して希望や願いを出し合えます。神が自分だけでなく自分と違う意見や考えの人にも、御心を深く知る為の知恵と啓示の霊を与えていると信じられ、互いにキリストの体の部分同士として、一歩引き下がって良い方向を相手と共に考えられるからです。主を信じる者同士の麗しい関係がここにあります。

 神が私達の将来の為に備えているものを、神は私達に私達のものとして与えて下さいます。但し、それは神のものなのであることを心に刻んでいましょう。神が私達を召し、召した目的の務めを果たせるようにと神が与えるものだからです。神が私達に将来と希望を与え、平安を与える計画を既に立てています。この事を記したエレミヤ29:11の前に「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの地に帰らせる」とあります。神はバビロンで捕囚の民として、苦しみの中で将来に不安を感じている人々に、あなたがたは私の民であり、あなたがたを慈しみ、その約束を果たすと言われたのです。この状態が七十年続くが終わりがあること、彼らが願い求めることを主が実現すると主はエレミヤを通して言われたのです。エレミヤはこれは主の言葉であるとはっきりと言います。

 パウロも、この手紙で祈っている事柄は必ず実現すると信じています。それは彼が、復活の主イエス・キリストに会い、霊的に神と出会い、自分の過去がどうであれ、主が為すべき事を示し、それを実現させる方と知ったからです。彼は信仰の再出発をしたのです。自分は神が全てを支配している世界に生きていると知ったのです。彼自身が、神と霊的に出会うことが信仰の出発点になると知っているので、読者が神と心が通じ合い、日々新しい人として生きられるようにと、その神を知る為の知恵と啓示の御霊を戴き、信仰の再出発ができるようにと私達の為に祈るのです。私達も、神と出会う必要を感じて、祈りを聴いて下さる神に呼び掛けていましょう。

 その為には先ず、神に頼らなければ、助けられなければ生きられない私達と認めましょう。すると神に真剣に呼び掛けられ、祈れます。その中で多くの事に気付かされます。私達を愛する神が私達に気付かせて下さるのです。自分の信仰が生ぬるかったこと、主に仕えるように相手に仕えていなかったこと、全てを主から与えられたものとして受け取っていなかったこと、更には、自分を頼り、主に頼っていなかったことなどと、多分数え上げればきりがないほど気付かされるかもしれません。

 でも祈祷会で学んだペテロもそうでした。主は信仰の再出発をさせて下さいます。大祭司邸の中庭で、ご自分との関係を否定した彼を主が振り返って見詰めると、彼は外に出て激しく泣きました。恐らくこの自分の為に祈っているとの主の言葉を思い出したからだと思います。私達も思い掛けない事、自分の力ではどうにもならない事に直面する時があります。その時にこそ祈りましょう。その為に祈りの特権が与えられているのです。厳しいことですが、祈りが単なる甘えであったり、委ねているつもりが自己責任の放棄になっていた罪人の自分に気付かされます。信仰の再出発点とは、主の前に立たされている、神に出会っている自分を自覚することなのです。そこに生じるのは感謝や喜びもですが、それ以上の反省と悔い改めです。祈りによって御前に立つ自分が、自身を素直に振り返りらせられるからです。正に、この反省と悔い改めにによって、私達は新しい人と成って再出発が出来るのです。 今、この教会は私の辞任後、新しい牧師が赴任しない時を迎えようとしています。この時は主がこの教会に与えた試練の時、再出発の時です。Ⅰコリント10:13にあるように神は真実な方です。耐えられない試練にはあわせません。試練と共に脱出の道も備えていて下さいます。この再出発の時も、主が私達に必要だから与えた試練の時なのです。ですから今この時をどう迎えるかが大切になると知りましょう。

 ですから「神を深く知る為の知恵と啓示も御霊」を与え、心の眼をはっきりと見えるように」して下さい。私達が「受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」「私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができるように」して下さいと祈りましょう。一瞬でも神が自分と一緒にいると実感出来ると、その時、私達は新しい群れとして、信仰の再出発点に立っています。

 今に限らず、私達は様々な時に思い掛けない出来事や困難に直面させさせられます。神が変化、成長を必要とするからです。それを神の恵みの時と信じましょう。そして神によって造られた新しい人として生きましょう。神は真実な方だからです。