| メッセージ(大谷孝志師) |
| 新しい世界、神の国に生きる |
| 向島キリスト教会 祈祷会説教 2025年3月12日 使徒 1:3-4 「新しい世界、神の国に生きる」 牧師 大谷 孝志 |
私達は朝起きて寝るまで、色々なことを考え、判断しながら生活しています。子供の時は子供なりに、大人になれば大人なりにそうしています。その考え方や判断の基準となり、考え、判断した事を実行に移せるのは、身に着けてきた知恵であり、身に付いている力です。しかし入学したり、就職したり、結婚したり、転居したりして、それ迄とは大きく異なった社会の中に入ると、自分の知恵や力が通用しないので、大きなショックを受けることがあります。年度の変わり目にそのような変化を経験する人が多いようです。しかし、それは転機と言えるもので、新しい自分を再発見する良い機会ともなるのですが、そこで落ち込んでしまう場合もあります。私の若い頃に、「燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)」という言葉がマスコミで大きく取り上げられました。入学や就職という大きな目標を達成した後に、新しい目標が見付からず、無力感や脱力感が生じ、五月病という症状に悩まされる人が多く出て来たことが社会問題になったのです。これは今もあると思います。誰でも、自分が置かれた環境の中で、目標を目指して懸命に努力し、成果を得た後、それ迄の自分の知恵や力が通用しない新しい社会の中にいる自分に気付き、目標を見失った時に発生する現象なのです。しかし、そのよな状況に置かれることは決して悪い事だけではありません。自分の内に有ったのに、自覚していなかった本来の自分に気付かされる良い機会になるからです。ですから、それに気付くことができ、置かれた、或いは直面した現状を前向きに捉え直せるとしたら、それが新しい夢や希望を見出す良い機会になるからです。 皆さんも、子供の頃にこんな人になりたい、あんな事をしたいと大きな夢や希望を抱いたのではないでしょうか。私は小学校の卒業文集に「将来は電電公社総裁になる」と書いた記憶があります。父が当時の電電公社に勤めていたからです。子供の頃は何でも出来るような気がするものなのです。それに子供は、大人が夢や希望を実現する迄に、どんなに苦労し、努力してきたかが判らないからです。と言うより想像もできないのです。そうです、人は子供の頃から様々な経験をしながら、一つ一つの出来事に一喜一憂し、喜怒哀楽を繰り返しながら、成長してきたのです。また中には、大人になってから新たな夢や希望を抱いて人生を大きく転換させた人もいると思います。例えば私の身近な人に、定年後に神学校に入り、神の福音を伝える仕事に就いた人もいます。また、国立大学の付属小学校の教師を辞めて神学校に入り、伝道者になった人もいます。周囲の人は驚きますが、その人の人生はその人のもの、いや、神のものなのです。そして誰の人生も一度きりの大切な人生なのです。その二人は、「人生一生勉強」の気概を持ち、神様が示した道と信じ、目標に向かって全力を尽くして勉強しました。60代、40代でした。でも、若々しさを周囲の人達に感じさせるものがあり、現場の教会で働く姿は周囲の人に良い刺激を与えていました。その人々がした決断を主イエスが助けて下さったのです。 皆さんもそうだと思いますが、人は様々な人生の転機を経験しながら生きています。思い掛けない出来事が起き、それが転機となった時、前向きに物事を捉えたり、考えられたりする時は良いのですが、そのショックが余りに大きかったり、深刻だったりすると。自分を見失いそうになったり、最悪の場合には、自暴自棄になって、後悔先に立たずになることすらあります。 昔、テレビに流れていた童謡に「いいないいな人間っていいな」という歌がありました。人は誰も、自分にしか生きられない人生を生きているのです。大事な事は、どんな状況に置かれたとしても、自分は生きている、これには意味があると考えることです。それが出来るのが私達人間の素晴らしさなのです。人間は他の動物とは比べものにならない素晴らしいものを持っているのです。生きている限り、人は希望を持てます。可能性を信じることができるのです。正に「いいないいなにんげんていいな」なのです。皆さんも人として生きてる限り、その良さを持っています。今の自分を考えると、下を向いて俯きたくなるかもしれません。でも、「一人の生命は地球よりも重い」と言った人がいます。よく「人の命を奪う」と言いますが、人を殺し、その人から命を取り去ることはできます。しかし、相手の命を自分のものには出来ません。自分の命は計り知れない程重く、その人にとって決して何ものも換えられないものだからです。 今日は11日ですが、明日12日から4月20日イースター、主イエスの復活を祝う復活祭前日の19日迄、教会の暦ではレント、受難節に入ります。これは四旬節とも呼ばれます。旬は十日なので、40日の筈ですが、実際は46日間です。と言うのは、その間の日曜日は主イエスの十字架からの復活を祝う日なので、主イエスの十字架の死の苦しみを心に刻む受難節からその6日を除くからです。それで明日12日から受難節に入ります。今日の個所は今から二千年以上前の主イェス・キリスト様が十字架に掛かって死に、復活した時のことです。十字架の死と復活を経験したイエス様の弟子達のショックは並大抵なものではなかった筈です。今まで経験したことの無い新しい世界に自分達が叩き込まれたからです。それ迄も彼らはイエス様との生活の中で、驚くべき不思議な経験を何度もしてきました。イエス様が荒れ狂う波と風の湖の上を歩いて自分達の所に来たので、幽霊だと思って叫び声を上げたこともありました。また、五つのパンと二匹の魚だけで、空腹だった男との人だけで五千人の大群衆を満腹にしたこともありました。目の見えない人、耳の聞こえない人、精神的に異常があった人がイエス様に癒されて、健常、正常な生活に戻る奇跡も経験しました。弟子達は主に「私に従って来なさい」と言われ、全てを捨てて、主と共に生活しながら、各地を旅しました。それ迄自分達が持っていた常識の全てがひっくり返される思いを何度もしてきたのです。しかしと突然この世の常識を遙かに超えた事を経験したのです。 しかし私は、今日の御言葉を通して、皆さんが突然大きな転機に立たされた時、経験したことがない状況に置かれた時、それがイエス様が皆さんに何かを知らせる為にした事だと知って欲しいと思っています。皆さんはイエス様を信じていなくても、イエス様の方では皆さんを愛し、大切に思っているからです。どのように関わって下さっているのでしょうか。先ず第一は、主が弟子達に知らせたように、ご自分が生きていることを数多くの証拠をもって知らせるていのです。私も皆さんも今、主イエス様を直接見ることはできません。しかし、自分や周囲の人達の日常生活の中に、この世の常識では考えられないことや、こんな自分にはあり得ないことだと思うような経験をしたことが有ったと思います。人の知恵、知識を超えた存在が確かに起きるのです。主イエス様が共にいて、必要な経験をさせて下さったのです。そう思うと、信じると、今の自分を安心できます。目の前の事態や局面にどう対処したら良いか判らない時でも、主がそんな皆さんを放って置かず、意味や道を示してくれるのです。自分が何としなくてはと思うと、不安や恐れに囚われます。先ずは主イエス様が共にいると信じて見て下さい。すると、不思議に落ち着きを取り戻せます。主はその為に、見聞き出来る形で、つまり手持ちの聖書を、私の話を通して、今がどんな状態か、今後どうなるのかを皆さんにも教えてくれているのです。 主イエス様の十字架と復活により、突然大きな転換点に立たされた弟子達は、自分達の知恵と知識で判断するしかなく、混乱していたのです。でも、復活の主が見える姿で自分達に現れたことにより、自分が今置かれている状況と意味とを理解できました。皆さんも集合教誨に来て、主イェスという方が全ての人の主で、救い主と聞きました。そして私が信じ、生きている神の国、新しい世界があり、実はその世界に生きていると聞きました。皆さんにも、これが自分の人生の転換点に立たされる時が来ると思います。復活した主に会った弟子達も最初は脅えて幽霊だと思いました。しかし信じられました。主の声が心に響いて、主が今もいると分かり、神の国、新しい世界に叩き込まれたからです。私の人生も或る時大きく変わり、全てがひっくり返されました。教会の人達との生活の中で、学びと訓練を経験する中で、この世界、神の国の素晴らしさを味わえました。とは言え、四苦八苦、生、老、病、死の四つの苦痛と愛別離苦、愛する者と別離する苦痛、怨憎会苦、怨みや憎しみに会う苦痛、五蘊盛苦、心身盛んなるが故の苦痛が無くなった訳では無く、度々襲い掛かって来ました。でも堪える力が湧き上がり、新しい道を見出せました。弟子達も主との40日の生活の中で、主に助けられ、、教えられ、神の国に生きるに相応しい者に変えられました。皆さんも変えられ、置かれた状況の中で、人として生き生きと前向きに、将来に向かって生きる者となる為に、この集合教誨が役に立ちますようにと心から願っています。お祈りします。その後、ご一緒に主の祈りをしましょう。 |